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2008年01月23日

第23問

【第23問】
三条大橋は豊臣秀吉が誰に命じて大改造を行ったか。

ア、加藤清正 イ、黒田長政  ウ、石田三成 エ、増田長盛

↓ 解答はこちら

【第23問】

< 解答 >  エ、増田長盛

< 解説 >  天下を手中にした豊臣秀吉の家臣団は大きく膨れ上がった。 なかでも武断派グループと文治派グループは、その役割の違いから度々対立を起こし、関ヶ原の戦いの原因の一つとなった。
 武断派の代表は、加藤清正、福島正則、黒田長政などが挙げられる。 彼らの働き場所は主に戦場で、その武力で秀吉に貢献してきた。 一方、文治派の代表が石田三成増田長盛、長束正家などで、戦場以外の法令、町の整備、物資の調達など役割は多岐にわたった。 三条大橋架設は増田長盛が命じられ、天正18( 1590 )年に完成させた。 現在でも橋の欄干の擬宝珠 ( ぎぼし ) にその名が刻まれている。
 余談だが、武断派の大半は関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍に対抗して、徳川家康の東軍についた。 その一人黒田長政の建立したのが大徳寺の龍光院で、小堀遠州作の国宝の茶室密庵席をはじめ多くの寺宝を今に伝えている。 敗れた石田三成も同じく大徳寺の三玄院にお墓がある。福島正則は等持院の再建にお堂を寄進している。





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Posted by きょうすけ at 18:12│Comments(0)歴史・史跡
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