2013年02月01日
第1919問
【第1919問】
聖護院の本尊である不動明王は誰の作とされるか。
ア、円仁 イ、円珍 ウ、良源 エ、源信
↓解答はこちら
聖護院の本尊である不動明王は誰の作とされるか。
ア、円仁 イ、円珍 ウ、良源 エ、源信
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【第1919問】
<解答> イ、円珍
<解説> 聖護院は、寛治4 ( 1090 ) 年に白河上皇が熊野御幸を行われた際、増誉 ( ぞうよ ) が先達に任命され、その功績によって寺院を賜り、天皇をお守りするという意味の 「 聖体護持 ( せいたいごじ ) 」 より二字をとって聖護院と名づけた。本尊の不動明王像は、過去4度の火災を潜り抜けて今日まで守り伝えられてきたもので、平安前期に天台宗第5代座主となった円珍 ( えんちん ) の作と伝えられ、両脇に二童子を従えている。
慈覚大師の名で知られる円仁 ( えんにん ) は天台宗第3代座主であり、真如堂の本尊である 「 見返り阿弥陀 」 の作者でもある。元三大師の名で知られる良源 ( りょうげん ) は天台宗第18代座主であり、比叡山の最盛期を現出するとともに 「 おみくじ 」 を開発したことでも知られる。良源の弟子である源信 ( げんしん ) は恵心僧都とも呼ばれ、 『 往生要集 』 を著して後の浄土信仰に大きな影響を与えた。また多くの仏像も制作し、最後に造った仏像が金戒光明寺の阿弥陀堂にある 「 おとめの如来 」、 「 ノミおさめ如来 」 と称される阿弥陀如来坐像である。(3級)
<解答> イ、円珍
<解説> 聖護院は、寛治4 ( 1090 ) 年に白河上皇が熊野御幸を行われた際、増誉 ( ぞうよ ) が先達に任命され、その功績によって寺院を賜り、天皇をお守りするという意味の 「 聖体護持 ( せいたいごじ ) 」 より二字をとって聖護院と名づけた。本尊の不動明王像は、過去4度の火災を潜り抜けて今日まで守り伝えられてきたもので、平安前期に天台宗第5代座主となった円珍 ( えんちん ) の作と伝えられ、両脇に二童子を従えている。
慈覚大師の名で知られる円仁 ( えんにん ) は天台宗第3代座主であり、真如堂の本尊である 「 見返り阿弥陀 」 の作者でもある。元三大師の名で知られる良源 ( りょうげん ) は天台宗第18代座主であり、比叡山の最盛期を現出するとともに 「 おみくじ 」 を開発したことでも知られる。良源の弟子である源信 ( げんしん ) は恵心僧都とも呼ばれ、 『 往生要集 』 を著して後の浄土信仰に大きな影響を与えた。また多くの仏像も制作し、最後に造った仏像が金戒光明寺の阿弥陀堂にある 「 おとめの如来 」、 「 ノミおさめ如来 」 と称される阿弥陀如来坐像である。(3級)
Posted by きょうすけ at 16:22│Comments(0)
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