2012年12月28日
第1884問
【第1884問】
建仁寺の正伝永源院にかかわった茶人は誰か。
ア、織田有楽斎 イ、村田珠光 ウ、金森宗和 エ、古田織部
↓解答はこちら
建仁寺の正伝永源院にかかわった茶人は誰か。
ア、織田有楽斎 イ、村田珠光 ウ、金森宗和 エ、古田織部
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【第1884問】
<解答> ア、織田有楽斎
<解説> 建仁寺の塔頭である正伝永源院は、鎌倉時代に創建された正伝院と南北朝時代に創建された永源庵が合併して現在に至っている。正伝院は戦国時代に荒廃していたため、織田有楽斎により再興され、その隠居所と国宝の茶室 「 如庵 」 が建てられたが、現在茶室は愛知県犬山市の有楽苑に移築されている。
村田珠光は、足利義政に招かれた現在の銀閣寺にて茶道の普及に努めた。姫宗和流を創始した金森宗和は、金閣寺に宗和好みの夕佳亭、三千院の聚碧園にも好みの庭園を残している。千利休の高弟であった古田織部は、上京区の興聖寺 ( 別名が織部寺 ) に眠っている。(2級)
<解答> ア、織田有楽斎
<解説> 建仁寺の塔頭である正伝永源院は、鎌倉時代に創建された正伝院と南北朝時代に創建された永源庵が合併して現在に至っている。正伝院は戦国時代に荒廃していたため、織田有楽斎により再興され、その隠居所と国宝の茶室 「 如庵 」 が建てられたが、現在茶室は愛知県犬山市の有楽苑に移築されている。
村田珠光は、足利義政に招かれた現在の銀閣寺にて茶道の普及に努めた。姫宗和流を創始した金森宗和は、金閣寺に宗和好みの夕佳亭、三千院の聚碧園にも好みの庭園を残している。千利休の高弟であった古田織部は、上京区の興聖寺 ( 別名が織部寺 ) に眠っている。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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