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2012年12月19日

第1875問

【第1875問】
現在の京都府庁がある場所は、幕末にはどこの藩が使用していたか。

ア、薩摩藩  イ、長州藩  ウ、会津藩  エ、加賀藩

↓解答はこちら

【第1875問】

<解答> ウ、会津藩

<解説> 会津藩を率いた松平容保は、文久2 ( 1862 ) 年に京都守護職を拝命し、金戒光明寺に本陣を置いた。その後、京都守護職上屋敷を造営し、敷地は現在の京都府庁のほぼ全てであった という。新選組を用いるなど京都の治安維持に奔走したが、時代は薩長同盟が締結されると幕府に次不利に働き、鳥羽伏見の戦いに敗れ、戊辰戦争でも最後まで戦ったが、圧倒的は新政府の武力の前に降伏せざるを得なかった。
  薩摩藩の屋敷は、かつての相国寺の敷地であった烏丸今出川の北東にあり、現在は同志社大学となっている。長州藩の屋敷は河原町御池の北東にあり、現在は京都ホテルオークラになっている。加賀藩の屋敷は木屋町御池の南西にあり、現在は高瀬川沿いに石碑のみが立っている。(3級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)歴史・史跡
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