2012年12月16日
第1872問
【第1872問】
血天井で名高い養源院に絵画を残している人物は誰か。
ア、長谷川等伯 イ、俵屋宗達 ウ、海北友松 エ、狩野元信
↓解答はこちら
血天井で名高い養源院に絵画を残している人物は誰か。
ア、長谷川等伯 イ、俵屋宗達 ウ、海北友松 エ、狩野元信
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【第1872問】
<解答> イ、俵屋宗達
<解説> 養源院は、文禄3 ( 1594 ) 年に秀吉の側室である淀殿が、父浅井長政の菩提を弔うために建立した。その後焼失したため、淀殿の妹の崇源院が、夫である徳川秀忠に願い、伏見城の遺構を移して再建した。その際に、血で染まった伏見城の廊下の床板を天井に掲げたため、 「 血天井 」 がある寺院として知られている。俵屋宗達が描いたとされる杉戸の 「 獅子図 」 「 麒麟図 」 「 白象図 」 は奇抜でユーモラス溢れる表現が特徴である。
狩野派と覇権を争った長谷川等伯は、南禅寺天授庵、圓徳院 、大徳寺三玄院、本法寺、智積院などに作品を残しており、海北友松 ( かいほくゆうしょう ) は建仁寺の方丈の障壁画を手がけ、狩野派の土台を作った狩野元信は、大徳寺大仙院や、 「 元信寺 」 と呼ばれる妙心寺霊雲院に襖絵を残している。(3級)
<解答> イ、俵屋宗達
<解説> 養源院は、文禄3 ( 1594 ) 年に秀吉の側室である淀殿が、父浅井長政の菩提を弔うために建立した。その後焼失したため、淀殿の妹の崇源院が、夫である徳川秀忠に願い、伏見城の遺構を移して再建した。その際に、血で染まった伏見城の廊下の床板を天井に掲げたため、 「 血天井 」 がある寺院として知られている。俵屋宗達が描いたとされる杉戸の 「 獅子図 」 「 麒麟図 」 「 白象図 」 は奇抜でユーモラス溢れる表現が特徴である。
狩野派と覇権を争った長谷川等伯は、南禅寺天授庵、圓徳院 、大徳寺三玄院、本法寺、智積院などに作品を残しており、海北友松 ( かいほくゆうしょう ) は建仁寺の方丈の障壁画を手がけ、狩野派の土台を作った狩野元信は、大徳寺大仙院や、 「 元信寺 」 と呼ばれる妙心寺霊雲院に襖絵を残している。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
│建築・庭園・美術