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2012年12月13日

第1869問

【第1869問】
幕末に金戒光明寺に本陣をおいたのはどこの藩か。

ア、長州藩  イ、薩摩藩  ウ、土佐藩  エ、会津藩

↓解答はこちら

【第1869問】

<解答> エ、会津藩

<解説> 金戒光明寺は、比叡山を下りた法然上人が、承安5 ( 1175 ) 年にこの地に念仏道場を開いたのが起こりである。法然の亡くなった後に、紫雲山光明寺となり、後光厳天皇から 「 金戒 」 の文字を賜って現在の名前となった。伽藍は応仁の乱以降、度々火災で焼失したがその都度復興された。幕末には京都守護職を任命された会津藩が1000余名の藩兵を率いて入洛し、こちらに本陣を構えた。境内には熊谷直実の 「 鎧掛けの松 」 や、平敦盛、熊谷直実の墓を始め、徳川秀忠の菩提を弔うために建立された三重塔、紫雲石を持つ西雲院、会津藩墓地など見所が点在している。
  長州藩は、現在の市役所の東側にある京都ホテルオークラに藩邸があり、薩摩藩は、同志社大学今出川キャンパスの場所に藩邸があり、土佐藩は、木屋町蛸薬師の元立誠小学校に藩邸があった。(3級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)歴史・史跡
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