2012年11月26日
第1852問
【第1852問】
瑠璃光院という寺院が人気の 「 八瀬 」 に別荘構えていたのはだれか。
ア、大河内伝次郎 イ、山縣有朋 ウ、三条実美 エ、村井吉兵衛
↓解答はこちら
瑠璃光院という寺院が人気の 「 八瀬 」 に別荘構えていたのはだれか。
ア、大河内伝次郎 イ、山縣有朋 ウ、三条実美 エ、村井吉兵衛
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【第1852問】
<解答> ウ、三条実美
<解説> 山と渓谷が織り成す風光明媚の地 「 八瀬 」 は、平安時代の昔より、貴族や武士に愛された保養地として知られており、本願歴代門主や三条実美公も訪れたと伝えられる。とくに三条実美は当時の庵に 「 喜鶴亭 」 と名付けて直筆の命名額を揮毫しており、瑠璃光院に現存している。
その瑠璃光院であるが、もともとは昭和にはいってから、 当時の京都電灯創業者が周辺一万二千坪の敷地に、 延べ二百四十坪の数寄屋造りと中庭付きの別荘を造営したものを、現在の瑠璃光院が譲り受けることとなり、2005年より一般公開が始まった。格調高い数奇屋造りの建築は中村外二、庭園は佐野藤右衛門一統の作と伝わる。
映画俳優であった大河内伝次郎は、嵐山に大河内山荘と呼ばれる別荘を造営して現在公開しており、政治家であった山縣有朋は、かつて南禅寺の門前に無鄰菴という別荘を構えて現在公開しており ( 京都市が管轄 ) 、財閥を築いた村井吉兵衛は、かつて円山公園の南側に別荘を持っており、現在は長楽館という食事、宿泊施設として営業している。(2級)
<解答> ウ、三条実美
<解説> 山と渓谷が織り成す風光明媚の地 「 八瀬 」 は、平安時代の昔より、貴族や武士に愛された保養地として知られており、本願歴代門主や三条実美公も訪れたと伝えられる。とくに三条実美は当時の庵に 「 喜鶴亭 」 と名付けて直筆の命名額を揮毫しており、瑠璃光院に現存している。
その瑠璃光院であるが、もともとは昭和にはいってから、 当時の京都電灯創業者が周辺一万二千坪の敷地に、 延べ二百四十坪の数寄屋造りと中庭付きの別荘を造営したものを、現在の瑠璃光院が譲り受けることとなり、2005年より一般公開が始まった。格調高い数奇屋造りの建築は中村外二、庭園は佐野藤右衛門一統の作と伝わる。
映画俳優であった大河内伝次郎は、嵐山に大河内山荘と呼ばれる別荘を造営して現在公開しており、政治家であった山縣有朋は、かつて南禅寺の門前に無鄰菴という別荘を構えて現在公開しており ( 京都市が管轄 ) 、財閥を築いた村井吉兵衛は、かつて円山公園の南側に別荘を持っており、現在は長楽館という食事、宿泊施設として営業している。(2級)
Posted by きょうすけ at 10:00│Comments(0)
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