2012年11月21日
第1847問
【第1847問】
二尊院について間違っているものを選べ。
ア、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝えられる。
イ、本堂と唐門は三条西実隆によって再建された。
ウ、向かって右に「来迎の阿弥陀如来発遣の釈迦如来」、左に「発遣の釈迦如」が並び立つ。
エ、百人一首ゆかりの、藤原定家の時雨亭跡とされる場所がある。
↓解答はこちら
二尊院について間違っているものを選べ。
ア、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝えられる。
イ、本堂と唐門は三条西実隆によって再建された。
ウ、向かって右に「来迎の阿弥陀如来発遣の釈迦如来」、左に「発遣の釈迦如」が並び立つ。
エ、百人一首ゆかりの、藤原定家の時雨亭跡とされる場所がある。
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【第1847問】
<解答> ウ、向かって右に「来迎の阿弥陀如来発遣の釈迦如来」、左に「発遣の釈迦如」が並び立つ。
<解説> 二尊院は平安時代の承和年間 ( 834 ~ 847年 ) に嵯峨天皇の勅により円仁 ( 慈覚大師 ) が建立したと伝えられる。その後、鎌倉初期に、法然の高弟である湛空らにより再興され、応仁の乱により堂塔伽藍が全焼したが、本堂と唐門は永正18 ( 1521 ) 年に三条西実隆によって再建された。二尊院の名は、向かって右に 「 発遣の釈迦如来 」 、左に 「 来迎の阿弥陀如来 」 が並び立つことに由来する。像高は両像とも78.8センチで像表面は現状では黒ずんでいるが、金泥塗りとし、截金で文様を表して下半身の衣文の形式などに変化をつけている。釈迦如来像が右手を上げ、左手を下げる一般的な印相を示すのに対し、阿弥陀像は右手を下げ、左手を上げる形に造り、両像は左右対称形となっている。総門を入った 「 紅葉の馬場 」 と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られ、初秋には萩の花の名所となる。また奥には、百人一首ゆかりの、藤原定家の時雨亭跡とされる場所がある。(2級)
<解答> ウ、向かって右に「来迎の阿弥陀如来発遣の釈迦如来」、左に「発遣の釈迦如」が並び立つ。
<解説> 二尊院は平安時代の承和年間 ( 834 ~ 847年 ) に嵯峨天皇の勅により円仁 ( 慈覚大師 ) が建立したと伝えられる。その後、鎌倉初期に、法然の高弟である湛空らにより再興され、応仁の乱により堂塔伽藍が全焼したが、本堂と唐門は永正18 ( 1521 ) 年に三条西実隆によって再建された。二尊院の名は、向かって右に 「 発遣の釈迦如来 」 、左に 「 来迎の阿弥陀如来 」 が並び立つことに由来する。像高は両像とも78.8センチで像表面は現状では黒ずんでいるが、金泥塗りとし、截金で文様を表して下半身の衣文の形式などに変化をつけている。釈迦如来像が右手を上げ、左手を下げる一般的な印相を示すのに対し、阿弥陀像は右手を下げ、左手を上げる形に造り、両像は左右対称形となっている。総門を入った 「 紅葉の馬場 」 と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られ、初秋には萩の花の名所となる。また奥には、百人一首ゆかりの、藤原定家の時雨亭跡とされる場所がある。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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