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2012年11月07日

第1833問

【第1833問】
東寺の南大門はかつてはどこの門であったか。

ア、仁和寺  イ、大雲院  ウ、伏見城  エ、三十三間堂

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【第1833問】

<解答> エ、三十三間堂

<解説> 東寺の南大門は、慶長6 ( 1601 ) 年に方広寺の西門として造営され、その後、方広寺縮小に伴って三十三間堂が管理していたものを明治28 ( 1895 ) 年に教王護国寺 ( 東寺 ) の南大門として移築したものである。現在の三十三間堂の南大門も、かつては方広寺の南大門である。通常南大門というと最も雄大で豪華であるが、現在の三十三間堂の南大門が比較的簡素なのは、方広寺の時代には大仏殿が西向きであったことから西門 ( すなわち現在の東寺の南大門 ) が正門であり、南大門は脇門であったからである。
 現在の仁和寺の金堂は、御所の紫宸殿から移築されたものであり、当時建っていた金堂は高山寺に移されて現存している。円山公園の南側にある大雲院の本堂は、昭和48 ( 1973 ) 年の移転時に智積院に移築され、現在は明王殿として使われている。伏見城は廃城となった際に、建物が様々な場所へと移転され、その中でも大手門は御香宮神社の表門として使われている。(2級)

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Posted by きょうすけ at 10:00│Comments(0)神社・寺院
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