2012年08月24日
第1759問
【第1759問】
8月23日、24日に行われる 「 千灯供養 」 で知られる化野念仏寺に墓がある人物はだれか。
ア、角倉素庵 イ、本阿弥光悦 ウ、尾形光琳 エ、灰屋紹益
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8月23日、24日に行われる 「 千灯供養 」 で知られる化野念仏寺に墓がある人物はだれか。
ア、角倉素庵 イ、本阿弥光悦 ウ、尾形光琳 エ、灰屋紹益
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【第1759問】
<解答> ア、角倉素庵
<解説> 角倉素庵 ( すみのくらそあん ) は、豪商として大成功を収めた角倉了以の子として保津川や高瀬川の開削、御朱印船貿易など数々の大事業に携わり、了以の没後は徳川家との関係を深めて角倉家の地位を不動のものとした。一方で文化面でも才能を発揮し、文学や謡などの活字本である 「 嵯峨本( 角倉本 ) 」 の刊行も行った。素庵は葬送地として知られる化野の地を自らの墓所に選んだとされ、その墓は化野念仏寺の竹林の奥にひっそりと佇んでいる。
芸術家として素庵とも交流のあった本阿弥光悦の墓は鷹峯の光悦寺にあり、光悦の生みだした斬新な芸術の流れを引き継いだ尾形光琳の墓は妙顕寺の塔頭泉妙院にあり、吉野太夫を身請けした豪商であり、文化人であった灰屋紹益の墓は立本寺にある。(2級)
<解答> ア、角倉素庵
<解説> 角倉素庵 ( すみのくらそあん ) は、豪商として大成功を収めた角倉了以の子として保津川や高瀬川の開削、御朱印船貿易など数々の大事業に携わり、了以の没後は徳川家との関係を深めて角倉家の地位を不動のものとした。一方で文化面でも才能を発揮し、文学や謡などの活字本である 「 嵯峨本( 角倉本 ) 」 の刊行も行った。素庵は葬送地として知られる化野の地を自らの墓所に選んだとされ、その墓は化野念仏寺の竹林の奥にひっそりと佇んでいる。
芸術家として素庵とも交流のあった本阿弥光悦の墓は鷹峯の光悦寺にあり、光悦の生みだした斬新な芸術の流れを引き継いだ尾形光琳の墓は妙顕寺の塔頭泉妙院にあり、吉野太夫を身請けした豪商であり、文化人であった灰屋紹益の墓は立本寺にある。(2級)
Posted by きょうすけ at 10:00│Comments(0)
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