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2012年07月25日

第1729問

【第1729問】
土佐出身の望月亀弥太はどの辺りに住んでいたとされるか

ア、常林寺  イ、金戒光明寺  ウ、西芳寺  エ、方広寺

↓解答はこちら

【第1729問】

<解答> エ、方広寺

<解説> 土佐出身の望月亀弥太 ( もちづきかめやた ) は土佐勤皇党に加盟し、のちに坂本龍馬の紹介で神戸海軍操練所へ入所するが、一方で長州藩とも連絡を密にとっていたため、 「 池田屋事変 」 に遭遇してしまう。池田屋を逃れたが、追手に深手を負わされ、長州藩邸前で自刃したという。方広寺の南付近に寓居があったとされ、新しく石碑も建っている。
 萩の寺として知られる常林寺は、幕府の江戸城無血開城を指揮した勝海舟が京都滞在時に宿として使った。金戒光明寺は、幕末に会津藩が1000名もの藩兵を率いて上洛した際に本陣となった。西芳寺 ( 通称苔寺 ) の湘南亭には、幕末に岩倉具視が一時隠棲した。(2級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)歴史・史跡
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