2012年06月17日
第1691問
【第1691問】
平安京の範囲を脱して最初に鴨川を越えたのは何通りか。
ア、二条通 イ、三条通 ウ、四条通 エ、五条通
↓解答はこちら
平安京の範囲を脱して最初に鴨川を越えたのは何通りか。
ア、二条通 イ、三条通 ウ、四条通 エ、五条通
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【第1691問】
<解答> ア、二条通
<解説> 平安京の条坊制において、南北に最も大きな通りが朱雀大路で、幅が85メートルあったとされる。さらに東西で最も大きな通りであったのが二条大路 ( 現在の二条通 ) で、幅が50メートルであった。平安末期に院政をおこなった白河天皇は、二条通を延長させて鴨川を越え、現在の京都市立岡崎動物園付近に法勝寺を建立した。その後、次々と皇室によって周辺に寺院が続き、岡崎付近は政治、宗教的拠点として発展したのである。
三条通は江戸時代に東海道の発展とともに大きく賑わい、昭和になって四条通に繁栄が移るまで、京都の東西のメイン通りとして多くの近代建築物が建てられてた。現在の五条通は平安時代の六条坊門通にあたる。豊臣秀吉によって結果的に強引に名前が変えられた歴史があり、現在の松原通がかつての五条通に該当する。(3級)
<解答> ア、二条通
<解説> 平安京の条坊制において、南北に最も大きな通りが朱雀大路で、幅が85メートルあったとされる。さらに東西で最も大きな通りであったのが二条大路 ( 現在の二条通 ) で、幅が50メートルであった。平安末期に院政をおこなった白河天皇は、二条通を延長させて鴨川を越え、現在の京都市立岡崎動物園付近に法勝寺を建立した。その後、次々と皇室によって周辺に寺院が続き、岡崎付近は政治、宗教的拠点として発展したのである。
三条通は江戸時代に東海道の発展とともに大きく賑わい、昭和になって四条通に繁栄が移るまで、京都の東西のメイン通りとして多くの近代建築物が建てられてた。現在の五条通は平安時代の六条坊門通にあたる。豊臣秀吉によって結果的に強引に名前が変えられた歴史があり、現在の松原通がかつての五条通に該当する。(3級)
Posted by きょうすけ at 10:00│Comments(0)
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