2012年03月21日
第1603問
【第1603問】
雲林院にある歌碑に刻まれた歌の作者は誰か。
ア、紫式部 イ、藤原忠平 ウ、菅原道真 エ、僧正遍昭
↓解答はこちら
雲林院にある歌碑に刻まれた歌の作者は誰か。
ア、紫式部 イ、藤原忠平 ウ、菅原道真 エ、僧正遍昭
↓解答はこちら
【第1603問】
<解答> エ、僧正遍昭
<解説> 雲林院の前身は淳和天皇の離宮紫野院である。その後、仁明天皇皇子常康 ( つねやす ) 親王に伝えられ、貞観11 ( 869 ) 年に僧正遍昭 ( そうじょうへんじょう ) が招かれて雲林院となった。 「 源氏物語 」 や 「 伊勢物語 」 に登場するなど平安時代に栄えたが、鎌倉時代の終わりに敷地の大部分を大徳寺に譲り、現在のような小規模な寺院となった。境内には僧正遍昭の歌で、百人一首にも選ばれている 「 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ 」 と刻まれた歌碑が立っている。
紫式部の歌碑 「 めぐりあいてみしや それともわかぬまに くもがくれにし 夜半の月影 」 は廬山寺にあり、藤原忠平の歌碑 「 小倉山 峯のもみじ葉心あらば 今ひとたびの 御幸またなむ 」 は二尊院にあり、菅原道真の歌碑 「 このたびは ぬさもとりあえず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに 」 は北野天満宮にある。(2級)
<解答> エ、僧正遍昭
<解説> 雲林院の前身は淳和天皇の離宮紫野院である。その後、仁明天皇皇子常康 ( つねやす ) 親王に伝えられ、貞観11 ( 869 ) 年に僧正遍昭 ( そうじょうへんじょう ) が招かれて雲林院となった。 「 源氏物語 」 や 「 伊勢物語 」 に登場するなど平安時代に栄えたが、鎌倉時代の終わりに敷地の大部分を大徳寺に譲り、現在のような小規模な寺院となった。境内には僧正遍昭の歌で、百人一首にも選ばれている 「 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ 」 と刻まれた歌碑が立っている。
紫式部の歌碑 「 めぐりあいてみしや それともわかぬまに くもがくれにし 夜半の月影 」 は廬山寺にあり、藤原忠平の歌碑 「 小倉山 峯のもみじ葉心あらば 今ひとたびの 御幸またなむ 」 は二尊院にあり、菅原道真の歌碑 「 このたびは ぬさもとりあえず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに 」 は北野天満宮にある。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
│芸術・文化