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2011年12月08日

第1497問

【第1497問】
応仁の乱の勃発の地となったのはどこか。

ア、上御霊神社  イ、船岡山  ウ、西陣  エ、宝鏡寺

↓解答はこちら

【第1497問】

<解答> ア、上御霊神社 
 
<解説> 応仁の乱の勃発のきっかけは、将軍継嗣問題である。跡継ぎがなかった8代将軍義政は、弟である義視を説得してようやく義視の将軍が内定した。しかし翌年、運命のいたずらか日野富子が嫡男の義尚を生んだのである。政治力も財力も持っていた日野富子は当然自らの子を将軍に据えたいと考えた。将軍義視には管領職として幕府の実権を握っていた細川勝元が後ろ盾となっていたため、日野富子はもう一方の実力者であった山名宗全を頼り、次第に細川氏対山名氏の対立が深まっていくこととなった。この対立とは別に、同じく管領であった畠山氏もお家の当主争いが起こり、畠山政長には細川氏が畠山義就には山名氏が味方したため、ついに畠山氏の身内騒動から応仁の乱へと発展したのである。その畠山氏の身内争いの場所が上御霊神社であり、ここが応仁の乱勃発の地とされる。
 宝鏡寺付近は応仁の乱初期の激戦地であり、細川勝元率いる東軍が、山名宗全率いる西軍へ攻めかかった。山名氏が陣を敷いていた付近は西陣と呼ばれるようになり、現在も地名として残ることとなった。西陣へ攻め込まれた山名氏は、いったん退いたが一進一退の攻防を繰り返す。やがて西軍は、大内政弘が大軍を率いて上洛し、船岡山に陣を敷いたころから勢力を盛り返した。その後は膠着状態に陥り、最終的には両軍の大将が病死したことなどもあって、11年にも渡った大乱は終息を迎えた。この戦いによって室町幕府は完全に形骸化し、事実上戦国時代の幕開けとなったのである。(3級)

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