2011年10月09日
第1437問
【第1437問】
豊臣政権の最後にできた五大老五奉行の制度で、主に土木部門を担当したのは誰か。
ア、浅野長政 イ、石田三成 ウ、増田長盛 エ、長束正家
↓解答はこちら
豊臣政権の最後にできた五大老五奉行の制度で、主に土木部門を担当したのは誰か。
ア、浅野長政 イ、石田三成 ウ、増田長盛 エ、長束正家
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【第1437問】
<解答> ウ、増田長盛
<解説> 豊臣秀吉は晩年、政権を支えるために五大老・五奉行を定め、政務を担当させた。五大老は徳川家康を筆頭に有力大名から構成され、五奉行は主に内政面に秀でた豊臣家の家臣が選ばれた。五奉行筆頭は秀吉の血縁者でもある浅野長政で主に司法担当し、続いて実質の中心人物であった石田三成が主に行政を担当し、増田長盛は主に土木を担当したため、三条大橋の普請を行い、経理に明るかった長束正家は主に財務を担当し、前田玄以は主に宗教を担当した。
このしくみは、秀吉の死とともに石田三成の失脚もあって機能せず、 「 関ヶ原の戦い 」 では、石田三成と長束正家が西軍として参陣し、増田長盛と前田玄以は大坂城に留まり、浅野長政は東軍に組することとなった。(3級)
<解答> ウ、増田長盛
<解説> 豊臣秀吉は晩年、政権を支えるために五大老・五奉行を定め、政務を担当させた。五大老は徳川家康を筆頭に有力大名から構成され、五奉行は主に内政面に秀でた豊臣家の家臣が選ばれた。五奉行筆頭は秀吉の血縁者でもある浅野長政で主に司法担当し、続いて実質の中心人物であった石田三成が主に行政を担当し、増田長盛は主に土木を担当したため、三条大橋の普請を行い、経理に明るかった長束正家は主に財務を担当し、前田玄以は主に宗教を担当した。
このしくみは、秀吉の死とともに石田三成の失脚もあって機能せず、 「 関ヶ原の戦い 」 では、石田三成と長束正家が西軍として参陣し、増田長盛と前田玄以は大坂城に留まり、浅野長政は東軍に組することとなった。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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