2011年09月24日
第1422問
【第1422問】
西寺の最後の五重塔が落雷で焼失したのはいつか。
ア、平安時代 イ、鎌倉時代 ウ、南北朝時代 エ、室町時代
↓解答はこちら
西寺の最後の五重塔が落雷で焼失したのはいつか。
ア、平安時代 イ、鎌倉時代 ウ、南北朝時代 エ、室町時代
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【第1422問】
<解答> イ、鎌倉時代
<解説> 西寺は、現存する東寺と同じく王城護国の官寺として平安京遷都とともに造営された。その後は東寺が空海に下賜されたのと同様に、西寺は守敏に下賜されたと伝わるが、伝説の域を出ない。途中、神護寺の文覚上人が再建にかかわったと記録があるものの、鎌倉時代の天福元 ( 1233 ) 年に唯一残っていた五重塔も焼失し、歴史から姿を消した。現在は、跡地の一部が公園として残され、石碑が建っているのみである。
歴史の皮肉なことに、同じ天福元 ( 1233 ) 年に東寺では、親厳僧正によって弘法大師坐像が御影堂 ( 大師堂 ) にまつられて大師信仰の中心となり、東寺が脈々と現在にまで続く原動力となっていったのである。(2級)
<解答> イ、鎌倉時代
<解説> 西寺は、現存する東寺と同じく王城護国の官寺として平安京遷都とともに造営された。その後は東寺が空海に下賜されたのと同様に、西寺は守敏に下賜されたと伝わるが、伝説の域を出ない。途中、神護寺の文覚上人が再建にかかわったと記録があるものの、鎌倉時代の天福元 ( 1233 ) 年に唯一残っていた五重塔も焼失し、歴史から姿を消した。現在は、跡地の一部が公園として残され、石碑が建っているのみである。
歴史の皮肉なことに、同じ天福元 ( 1233 ) 年に東寺では、親厳僧正によって弘法大師坐像が御影堂 ( 大師堂 ) にまつられて大師信仰の中心となり、東寺が脈々と現在にまで続く原動力となっていったのである。(2級)
Posted by きょうすけ at 09:00│Comments(0)
│歴史・史跡