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2011年09月19日

第1417問

【第1417問】
関ヶ原の戦いの前哨戦とされる伏見城の戦いで伏見城を任された徳川家康の家臣は誰か。

ア、本多忠勝  イ、井伊直政  ウ、藤堂高虎  エ、鳥居元忠

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【第1417問】

<解答> エ、鳥居元忠

<解説> 慶長5(1600)年、徳川家康は腹心中の腹心であった鳥居元忠と1800名の家臣を伏見城に残して会津征伐に向った。家康はその隙を狙って石田三成が兵を挙げることを予想しており、鳥居元忠の役目は家康に天下を取らせるために、伏見城で少しでも長く持ちこたえて討ち死にすることであった。伏見城攻めの総大将は宇喜多秀家、副将は小早川秀秋で、その他に毛利秀元、吉川広家、小西行長、島津義弘、長宗我部盛親、長束正家、鍋島勝茂など総勢4万で攻めかかったが、死ぬ気で守る城兵の士気は高く、激しい攻防は10日間以上に渡って繰り広げられた。しかし、負けられない西軍は、最後は内部の甲賀衆を無理やり寝返らせて城内に火を放たせ、一気に攻め入った。鳥居本忠は、最後は天守閣に守って抵抗を続け、残った全員380余名が自刃した。この戦いは徳川家康の家臣である三河武士の忠義と頑強さを天下に知らしめることとなり、関ヶ原の華々しい前哨戦となった。
 本多忠勝井伊直政は徳川家康の有力家臣で、徳川四天王と称された人物である。藤堂高虎は関ヶ原の戦いの前から豊臣側から徳川側に主君を変え、家康の絶大な信頼を得た武将である。二条城の縄張りや、南禅寺の三門を建立している。(2級)

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