2011年05月31日
第1307問
【第1307問】
龍安寺には誰が寄進したつくばいがあるか。
ア、細川勝元 イ、加藤清正 ウ、水戸光圀 エ、相阿弥
↓解答はこちら
龍安寺には誰が寄進したつくばいがあるか。
ア、細川勝元 イ、加藤清正 ウ、水戸光圀 エ、相阿弥
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【第1307問】
<解答> ウ、水戸光圀
<解説> 龍安寺は、宝徳2 ( 1450 ) 年に細川勝元が徳大寺家の山荘を譲りうけ、義天玄承 ( ぎてんげんしょう ) を招いて創建された。その後、応仁の乱にて荒廃するものの、実子・細川政元らによって再建された。寛政9 ( 1797 ) 年に火災によって方丈・開山堂・仏殿を焼失し、その後塔頭である西源院より方丈を移築して現在に至っている。名高い方丈南側の石庭は、室町幕府に仕えた相阿弥の作と伝えられるが、実際のところ作者・作庭年代とも不詳で、時代の新しいものでは小堀遠州作という説もある。方丈北側には、水戸光圀公寄進の 「 知足のつくばい 」 があり、 「 吾唯足知 ( われただたるをしる ) 」 という禅の教えが表現されている。さらに方丈東側には、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったとされる侘助椿がある。(3級)
<解答> ウ、水戸光圀
<解説> 龍安寺は、宝徳2 ( 1450 ) 年に細川勝元が徳大寺家の山荘を譲りうけ、義天玄承 ( ぎてんげんしょう ) を招いて創建された。その後、応仁の乱にて荒廃するものの、実子・細川政元らによって再建された。寛政9 ( 1797 ) 年に火災によって方丈・開山堂・仏殿を焼失し、その後塔頭である西源院より方丈を移築して現在に至っている。名高い方丈南側の石庭は、室町幕府に仕えた相阿弥の作と伝えられるが、実際のところ作者・作庭年代とも不詳で、時代の新しいものでは小堀遠州作という説もある。方丈北側には、水戸光圀公寄進の 「 知足のつくばい 」 があり、 「 吾唯足知 ( われただたるをしる ) 」 という禅の教えが表現されている。さらに方丈東側には、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったとされる侘助椿がある。(3級)
Posted by きょうすけ at 10:00│Comments(0)
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