2011年05月27日
第1303問
【第1303問】
蹴上にある無鄰菴は誰の別荘として造営されたか。
ア、伊藤博文 イ、山県有朋 ウ、桂太郎 エ、小村寿太郎
↓解答はこちら
蹴上にある無鄰菴は誰の別荘として造営されたか。
ア、伊藤博文 イ、山県有朋 ウ、桂太郎 エ、小村寿太郎
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【第1303問】
<解答> イ、山県有朋
<解説> 無鄰菴 ( むりんあん ) は、明治29 ( 1896 ) 年に、長州藩出身で明治・大正期に活躍した政治家、山県有朋 ( やまがたありとも ) が京都における別邸として造営した。名前の由来は、故郷の草庵が隣家のない、ひなびた場所であったことによるという。庭園は、小川治兵衛の作庭ながら、その指導は山県自身が行った。また敷地内の南西角に建つ洋館では、明治36 ( 1903 ) 年に 「 無鄰菴会議 」 が行われ、元老の山県有朋、政友会総裁の伊藤博文、総理大臣の桂太郎、外務大臣の小村寿太郎が集まって、午後4時から2時間に渡って話し合い、日露戦争の海戦を決めた。(3級)
<解答> イ、山県有朋
<解説> 無鄰菴 ( むりんあん ) は、明治29 ( 1896 ) 年に、長州藩出身で明治・大正期に活躍した政治家、山県有朋 ( やまがたありとも ) が京都における別邸として造営した。名前の由来は、故郷の草庵が隣家のない、ひなびた場所であったことによるという。庭園は、小川治兵衛の作庭ながら、その指導は山県自身が行った。また敷地内の南西角に建つ洋館では、明治36 ( 1903 ) 年に 「 無鄰菴会議 」 が行われ、元老の山県有朋、政友会総裁の伊藤博文、総理大臣の桂太郎、外務大臣の小村寿太郎が集まって、午後4時から2時間に渡って話し合い、日露戦争の海戦を決めた。(3級)
Posted by きょうすけ at 20:15│Comments(0)
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