2011年03月30日
第1245問
【第1245問】
東本願寺の別邸である渉成園は誰の作庭とされるか。
ア、小堀遠州 イ、本阿弥光悦 ウ、石川丈山 エ、橋本関雪
↓解答はこちら
東本願寺の別邸である渉成園は誰の作庭とされるか。
ア、小堀遠州 イ、本阿弥光悦 ウ、石川丈山 エ、橋本関雪
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【第1245問】
<解答> ウ、石川丈山
<解説> 渉成園 ( しょうせいえん ) は、寛永18 ( 1641 ) 年に徳川家光によって寄進され、東本願寺の飛び地境内として門首の隠退所や外賓の接遇所として用いられた。庭園は石川丈山による作庭と伝えられ、書院式の回遊庭園として作庭されている。建物は2度の被災によって焼失し、慶応元 ( 1865 ) 年から明治初期までに再建されたもので、周りに枳殻が植えられていたことから 「 枳殻邸 ( きこくてい ) 」 とも呼ばれている。
小堀遠州は二条城、大徳寺孤篷庵、南禅寺方丈、金地院、青蓮院、清凉寺、伏見奉行所など数多くの庭園造営に携わった。本阿弥光悦は自らの菩提寺である本法寺、橋本関雪は自らの邸宅である白沙村荘 ( はくさそんそう ) の庭園を作庭した。(3級)
<解答> ウ、石川丈山
<解説> 渉成園 ( しょうせいえん ) は、寛永18 ( 1641 ) 年に徳川家光によって寄進され、東本願寺の飛び地境内として門首の隠退所や外賓の接遇所として用いられた。庭園は石川丈山による作庭と伝えられ、書院式の回遊庭園として作庭されている。建物は2度の被災によって焼失し、慶応元 ( 1865 ) 年から明治初期までに再建されたもので、周りに枳殻が植えられていたことから 「 枳殻邸 ( きこくてい ) 」 とも呼ばれている。
小堀遠州は二条城、大徳寺孤篷庵、南禅寺方丈、金地院、青蓮院、清凉寺、伏見奉行所など数多くの庭園造営に携わった。本阿弥光悦は自らの菩提寺である本法寺、橋本関雪は自らの邸宅である白沙村荘 ( はくさそんそう ) の庭園を作庭した。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
│建築・庭園・美術