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2011年03月13日

第1229問

【第1229問】
相国寺は 「 京童の口ずさみ 」 ではなんと呼ばれていたか。

ア、学問面  イ、声明面  ウ、武家面  エ、茶面

↓解答はこちら

【第1229問】

<解答> イ、声明面

<解説> 足利義満によって創建された相国寺は、五山の制では第2位の格式を持ち、その特徴は声明面である。これは相国寺の事実上の開山である春屋妙葩 ( しゅんおくみょうは ) を筆頭に、僧達のお経や回向文の曲節の美しさが際立っていたことに由来する。
 学問面といえば建仁寺である。開山である栄西禅師によって、京都最初の禅寺として創建されて以来、多くの学僧を生み出したことに由来する。武家面といえば南禅寺である。亀山天皇の生母の離宮を改めたのが起こりで、禅寺最高の格式をもったことから武士の信仰も厚かったことに由来する。石川五右衛門が大見得を切ったことで有名な三門は、戦国時代を生き抜いた藤堂高虎によって再建された。茶面といえば大徳寺である。千利休の千家の菩提寺である聚光院をはじめ、戦国時代に大名達によって建立された多くの塔頭は、それぞれお茶室を備えている。(3級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)神社・寺院
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