2010年11月21日
第1117問
【第1117問】
木屋町界隈にある岬神社は通称なんと呼ばれているか。
ア、土佐稲荷 イ、満足稲荷 ウ、出世稲荷 エ、合槌稲荷
↓解答はこちら
木屋町界隈にある岬神社は通称なんと呼ばれているか。
ア、土佐稲荷 イ、満足稲荷 ウ、出世稲荷 エ、合槌稲荷
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【第1117問】
<解答> ア、土佐稲荷
<解説> 岬神社は室町時代の初めに鴨川西岸、岬のように出っ張った所に祀られていたが、江戸に入って西側にある土佐藩邸内に移転したことから、通称土佐稲荷と呼ばれるようになった。土佐藩は市民に対して、神社への参拝ならば、藩邸内に入ることを許可していた。明治維新後は、藩邸の北側にあたる現在の場所へと移転し、狭い境内には土佐藩ゆかりの坂本龍馬の銅像が立っている。
満足稲荷、出世稲荷は豊臣秀吉によって伏見稲荷大社より遷された。合槌稲荷は、三条小鍛冶宗が、伏見稲荷大社の神霊が合槌となって名刀制作を手助けしてくれたことに感謝して、自らの屋敷に遷されたと伝えられる。(3級)
<解答> ア、土佐稲荷
<解説> 岬神社は室町時代の初めに鴨川西岸、岬のように出っ張った所に祀られていたが、江戸に入って西側にある土佐藩邸内に移転したことから、通称土佐稲荷と呼ばれるようになった。土佐藩は市民に対して、神社への参拝ならば、藩邸内に入ることを許可していた。明治維新後は、藩邸の北側にあたる現在の場所へと移転し、狭い境内には土佐藩ゆかりの坂本龍馬の銅像が立っている。
満足稲荷、出世稲荷は豊臣秀吉によって伏見稲荷大社より遷された。合槌稲荷は、三条小鍛冶宗が、伏見稲荷大社の神霊が合槌となって名刀制作を手助けしてくれたことに感謝して、自らの屋敷に遷されたと伝えられる。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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