2010年11月16日
第1112問
【第1112問】
血天井を持つ寺院であり、 「 獅子の子渡し 」 の庭を持つ寺院はどれか。
ア、宝泉院 イ、養源院 ウ、興聖寺 エ、正伝寺
↓解答はこちら
血天井を持つ寺院であり、 「 獅子の子渡し 」 の庭を持つ寺院はどれか。
ア、宝泉院 イ、養源院 ウ、興聖寺 エ、正伝寺
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【第1112問】
<解答> エ、正伝寺
<解説> 正伝寺は、鎌倉時代に中国僧の兀菴普寧 ( ごつあんふねい ) 禅師の法を受け継いだ東巌慧安 ( とうがんえあん ) 禅師によって、文永5 ( 1268 ) 年に烏丸今出川に創建され、弘安5 ( 1282 ) 年に現在の場所に移ってきた。その後は、五穀豊穣と国家鎮護を祈願する道場となり、さらに後醍醐天皇の勅願所や足利義満の祈願所となり、皇室や武家から厚く崇敬された。本堂は伏見城からの移築で、天井は血天井となっており、襖絵は狩野山楽一派のものと考えられる。また庭園は、小堀遠州の作庭と伝わり、比叡山を借景に、石を一石も用いずにサツキの刈り込みを七五三形式に配して築山風に表現する珍しい技法がとられ、俗に 「 獅子の子渡し 」 とも呼ばれている。
大原の勝林院の塔頭である宝泉院、淀殿が父浅井長政の為に建てた浅井家の菩提寺である養源院、道元禅師が伏見に建てた曹洞宗の修行道場が起こりの興聖寺もいずれも血天井を持つ寺院である。(3級)
<解答> エ、正伝寺
<解説> 正伝寺は、鎌倉時代に中国僧の兀菴普寧 ( ごつあんふねい ) 禅師の法を受け継いだ東巌慧安 ( とうがんえあん ) 禅師によって、文永5 ( 1268 ) 年に烏丸今出川に創建され、弘安5 ( 1282 ) 年に現在の場所に移ってきた。その後は、五穀豊穣と国家鎮護を祈願する道場となり、さらに後醍醐天皇の勅願所や足利義満の祈願所となり、皇室や武家から厚く崇敬された。本堂は伏見城からの移築で、天井は血天井となっており、襖絵は狩野山楽一派のものと考えられる。また庭園は、小堀遠州の作庭と伝わり、比叡山を借景に、石を一石も用いずにサツキの刈り込みを七五三形式に配して築山風に表現する珍しい技法がとられ、俗に 「 獅子の子渡し 」 とも呼ばれている。
大原の勝林院の塔頭である宝泉院、淀殿が父浅井長政の為に建てた浅井家の菩提寺である養源院、道元禅師が伏見に建てた曹洞宗の修行道場が起こりの興聖寺もいずれも血天井を持つ寺院である。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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