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2010年09月27日

第1062問

【第1062問】
「萌え出づるも 枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋に あはで果つべき」という歌を残したのは誰か。

ア、小督局  イ、常盤御前  ウ、祇王  エ、平徳子

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【第1062問】

<解答> ウ、祇王

<解説> 白拍子として都の評判となった祇王は、時の権力者平清盛に召されて寵愛を受け、家族ともども幸せに暮らしていた。そこへ仏御前という16歳の白拍子が現れ、清盛に目通りを願う。会おうともしない清盛に祇王が取り成すと、今度は仏御前の虜となり、祇王をあっさりと追い出すこととなった。あまりの仕打ちにこの世のはかなさを感じた祇王は思いを歌にし、襖に書き残して嵯峨野に出家した。後日談では、念仏三昧の日々を送る祇王のもとに、祇王の残した歌を読んだ仏御前が同じく世の無常を感じて出家した姿で訪れ、ともに念仏三昧の日々を送ったと伝わっている。
 琴の名手であった小督局は、平清盛の娘である平徳子が嫁いだ高倉天皇から愛されたために、清盛の怒りをかって出家させられ、若くして崩御された高倉天皇の菩提を弔って暮らしたと伝わる。常盤御前は源義朝の妻であったが、夫が平清盛に敗れたため、牛若丸ら子供の命と引き換えに清盛の側室となった。(2級)

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