2010年08月29日
第1032問
【第1032問】
法金剛院はだれの別荘を寺院に改めたものか。
ア、藤原道長 イ、源融 ウ、清原夏野 エ、花園天皇
↓解答はこちら
法金剛院はだれの別荘を寺院に改めたものか。
ア、藤原道長 イ、源融 ウ、清原夏野 エ、花園天皇
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【第1032問】
<解答> ウ、清原夏野
<解説> 法金剛院は、貴族清原夏野の別荘を寺院に改めて双丘寺 ( そうきゅうじ ) と称したのが起こりである。その後、歴史は途絶えるが、大治5 ( 1130 )年には鳥羽天皇の中宮である待賢門院が旧跡を復興し、鎌倉時代には円覚によって律宗に改められて現在に至っている。
藤原道長は宇治に宇治殿という別荘を構えていたが、子の頼通はこれを譲り受けて平等院を創建した。源融は嵯峨野に別荘である棲霞観を持っていたが、亡くなったのちに寺院改められたのが清凉寺である。花園天皇の離宮を寺院に改めたのが、現在の妙心寺である。(3級)
<解答> ウ、清原夏野
<解説> 法金剛院は、貴族清原夏野の別荘を寺院に改めて双丘寺 ( そうきゅうじ ) と称したのが起こりである。その後、歴史は途絶えるが、大治5 ( 1130 )年には鳥羽天皇の中宮である待賢門院が旧跡を復興し、鎌倉時代には円覚によって律宗に改められて現在に至っている。
藤原道長は宇治に宇治殿という別荘を構えていたが、子の頼通はこれを譲り受けて平等院を創建した。源融は嵯峨野に別荘である棲霞観を持っていたが、亡くなったのちに寺院改められたのが清凉寺である。花園天皇の離宮を寺院に改めたのが、現在の妙心寺である。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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