2010年08月04日
第1007問
【第1007問】
鎌倉時代の主要街道である渋谷街道はどこへ通じていたか。
ア、馬町 イ、六波羅 ウ、伏見 エ、粟田口
↓解答はこちら
鎌倉時代の主要街道である渋谷街道はどこへ通じていたか。
ア、馬町 イ、六波羅 ウ、伏見 エ、粟田口
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【第1007問】
<解答> ア、馬町
<解説> 鎌倉時代の主要街道である渋谷街道は馬町に通じていた。馬町は鎌倉時代に馬借や車借が多く住み、馬の市場もあったことから地名となった。現在も渋谷街道はかつての街道の名残をとどめている。
六波羅は平安末期に平家の本拠地となり、鎌倉時代になってからは六波羅探題が設置されるなど引き続き、武家町として栄えた。伏見は豊臣秀吉が開いた城下町で、奈良街道の出入口にあたる。粟田口は東海道の出入口であり、かつては刀鍛冶が多く住み、江戸時代には粟田焼がさかんに行われた場所である。(2級)
<解答> ア、馬町
<解説> 鎌倉時代の主要街道である渋谷街道は馬町に通じていた。馬町は鎌倉時代に馬借や車借が多く住み、馬の市場もあったことから地名となった。現在も渋谷街道はかつての街道の名残をとどめている。
六波羅は平安末期に平家の本拠地となり、鎌倉時代になってからは六波羅探題が設置されるなど引き続き、武家町として栄えた。伏見は豊臣秀吉が開いた城下町で、奈良街道の出入口にあたる。粟田口は東海道の出入口であり、かつては刀鍛冶が多く住み、江戸時代には粟田焼がさかんに行われた場所である。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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