2010年08月01日
第1004問
【第1004問】
精霊送りには多くの参拝者で賑わう寺院はどこか。
ア、染殿院 イ、矢田寺 ウ、六道珍皇寺 エ、西福寺
↓解答はこちら
精霊送りには多くの参拝者で賑わう寺院はどこか。
ア、染殿院 イ、矢田寺 ウ、六道珍皇寺 エ、西福寺
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【第1004問】
<解答> イ、矢田寺
<解説> 矢田寺は平安初期、奈良の矢田寺の別院として創建され、天正7 ( 1579 ) 年に現在の地に移転してきた。本堂に安置する本尊の地蔵菩薩 ( 矢田地蔵 ) は高さ約2メートルの立像で、開山の満慶 ( まんけい ) 上人が冥土へ行き、そこで出会った生身の地蔵尊の姿を彫らせたものといわれ、地獄で亡者を救う地蔵として人々の信仰を集めている。また梵鐘は、六道珍皇寺の 「 迎え鐘 」 に対し、 「 送り鐘 」 と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として人々から信仰され、一年を通じて精霊送りには多くの参拝者で賑わう。
染殿院は、弘法大師空海が開いた寺院で、現在は繁華街に面してひっそりとたたずんでいる。平安中期、文徳天皇の后で、父・良房の邸宅であった 「 染殿 」 に住んでいたため 「 染殿后 」 と呼ばれていた藤原明子は、こちらの地蔵尊にお参りし、後の清和天皇を授かったことから、現在安産祈願の信仰を集めている。 「 六道の辻 」 にある寺院で、普段は非公開である西福寺は 「 六道まいり 」 の時期に、寺宝である 「 地獄絵図 」 が公開され、参拝できる。その中でも 「 檀林皇后九相図 ( だんりんこうごうくそうず ) 」 は、皇后という高い身分であっても、死に行く様はこういった状態になるということがリアルに描かれている。(3級)
<解答> イ、矢田寺
<解説> 矢田寺は平安初期、奈良の矢田寺の別院として創建され、天正7 ( 1579 ) 年に現在の地に移転してきた。本堂に安置する本尊の地蔵菩薩 ( 矢田地蔵 ) は高さ約2メートルの立像で、開山の満慶 ( まんけい ) 上人が冥土へ行き、そこで出会った生身の地蔵尊の姿を彫らせたものといわれ、地獄で亡者を救う地蔵として人々の信仰を集めている。また梵鐘は、六道珍皇寺の 「 迎え鐘 」 に対し、 「 送り鐘 」 と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として人々から信仰され、一年を通じて精霊送りには多くの参拝者で賑わう。
染殿院は、弘法大師空海が開いた寺院で、現在は繁華街に面してひっそりとたたずんでいる。平安中期、文徳天皇の后で、父・良房の邸宅であった 「 染殿 」 に住んでいたため 「 染殿后 」 と呼ばれていた藤原明子は、こちらの地蔵尊にお参りし、後の清和天皇を授かったことから、現在安産祈願の信仰を集めている。 「 六道の辻 」 にある寺院で、普段は非公開である西福寺は 「 六道まいり 」 の時期に、寺宝である 「 地獄絵図 」 が公開され、参拝できる。その中でも 「 檀林皇后九相図 ( だんりんこうごうくそうず ) 」 は、皇后という高い身分であっても、死に行く様はこういった状態になるということがリアルに描かれている。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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