2010年06月27日
第969問
【第969問】
次のうち秦氏と関係のない社寺、史跡はどれか。
ア、車折神社 イ、蛇塚古墳 ウ、広隆寺 エ、蚕の社
↓解答はこちら
次のうち秦氏と関係のない社寺、史跡はどれか。
ア、車折神社 イ、蛇塚古墳 ウ、広隆寺 エ、蚕の社
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【第969問】
<解答> ア、車折神社
<解説> 平安後期の漢学者・儒学者であった清原頼業が亡くなった後、廟所にもうけられた宝寿院という寺院が前身である。後に天龍寺の末寺となるが、後嵯峨天皇が嵐山遊行の際、この前を通ろうとすると牛車が倒れ車のながえが折れたので、調べてみると頼業を祀った祠があった場所とわかり、車折大明神の神号を贈られたと伝えられている。
残りは全て秦氏が関わっている。蛇塚古墳は、古墳時代末期の7世紀頃の作とされており、かつては全長75mぐらいの前方後円墳だったようである。玄室 ( 古墳の石室の主体部、棺を納める部分 ) の幅は、奈良県の石舞台古墳よりも広く、日本最大級である。昔、石室の石組みの隙間に蛇が住んでいたので、蛇塚と呼ばれるようになった。埋葬者は判明しないが、一説には広隆寺を建立した秦河勝ともされている。広隆寺は秦氏の氏寺として創建され、聖徳太子から賜ったという弥勒菩薩半跏思惟像を中心に多くの仏像を所蔵している。蚕の社は、正式名が木島坐天照御魂 ( このしまにますあまてるみたま ) 神社といい、本殿右側にある養蚕 ( こかい ) 神社が通称 「 蚕の社 」 と呼ばれていることから神社の通称となっている。なかでも京都三珍鳥居の一つである三鳥居は創建に関わった秦氏とともに不思議な伝説に彩られている。(3級)
<解答> ア、車折神社
<解説> 平安後期の漢学者・儒学者であった清原頼業が亡くなった後、廟所にもうけられた宝寿院という寺院が前身である。後に天龍寺の末寺となるが、後嵯峨天皇が嵐山遊行の際、この前を通ろうとすると牛車が倒れ車のながえが折れたので、調べてみると頼業を祀った祠があった場所とわかり、車折大明神の神号を贈られたと伝えられている。
残りは全て秦氏が関わっている。蛇塚古墳は、古墳時代末期の7世紀頃の作とされており、かつては全長75mぐらいの前方後円墳だったようである。玄室 ( 古墳の石室の主体部、棺を納める部分 ) の幅は、奈良県の石舞台古墳よりも広く、日本最大級である。昔、石室の石組みの隙間に蛇が住んでいたので、蛇塚と呼ばれるようになった。埋葬者は判明しないが、一説には広隆寺を建立した秦河勝ともされている。広隆寺は秦氏の氏寺として創建され、聖徳太子から賜ったという弥勒菩薩半跏思惟像を中心に多くの仏像を所蔵している。蚕の社は、正式名が木島坐天照御魂 ( このしまにますあまてるみたま ) 神社といい、本殿右側にある養蚕 ( こかい ) 神社が通称 「 蚕の社 」 と呼ばれていることから神社の通称となっている。なかでも京都三珍鳥居の一つである三鳥居は創建に関わった秦氏とともに不思議な伝説に彩られている。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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