2010年05月24日
第935問
【第935問】
源平の合戦で壇ノ浦へ入水した安徳天皇の父親は誰か。
ア、以仁王 イ、二条天皇 ウ、高倉天皇 エ、後白河天皇
↓解答はこちら
源平の合戦で壇ノ浦へ入水した安徳天皇の父親は誰か。
ア、以仁王 イ、二条天皇 ウ、高倉天皇 エ、後白河天皇
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【第935問】
<解答> ウ、高倉天皇
<解説> 鎌倉幕府を開いた源頼朝からは 「 日本一の大天狗 」 と評された後白河天皇は、源平の勢力伸張の中を巧みに生き抜いた。第一皇子の二条天皇に皇位を譲るものの、上皇となって勢力を振るい、しばしば対立を起こした。結果的には二条天皇の崩御によって再度権力を手中にし、平滋子との間に生まれた高倉天皇の代になってもその動向は変わらなかった。平家の勢力が朝廷を凌駕するようになると、後白河天皇の皇子の一人であった以仁王 ( もちひとおうが ) が源頼政と組んで打倒平家の兵を挙げたが、これも無謀とわかるや静観視するというしたたかさを見せている。平家の強い意向によって高倉天皇から安徳天皇へと皇位が継承されると、ひそかに源氏と通じて平家滅亡への道筋をつけ、源頼朝が大きな勢力を関東で作ると、今度はそれを牽制するべく、純粋な戦いの天才源義経に勝手に官位を授けて源頼朝と対立させるなど、あらゆる場面で権謀術数を使い、自らの保身と権力集中のためうまく立ち振舞ったといえる。(2級)
<解答> ウ、高倉天皇
<解説> 鎌倉幕府を開いた源頼朝からは 「 日本一の大天狗 」 と評された後白河天皇は、源平の勢力伸張の中を巧みに生き抜いた。第一皇子の二条天皇に皇位を譲るものの、上皇となって勢力を振るい、しばしば対立を起こした。結果的には二条天皇の崩御によって再度権力を手中にし、平滋子との間に生まれた高倉天皇の代になってもその動向は変わらなかった。平家の勢力が朝廷を凌駕するようになると、後白河天皇の皇子の一人であった以仁王 ( もちひとおうが ) が源頼政と組んで打倒平家の兵を挙げたが、これも無謀とわかるや静観視するというしたたかさを見せている。平家の強い意向によって高倉天皇から安徳天皇へと皇位が継承されると、ひそかに源氏と通じて平家滅亡への道筋をつけ、源頼朝が大きな勢力を関東で作ると、今度はそれを牽制するべく、純粋な戦いの天才源義経に勝手に官位を授けて源頼朝と対立させるなど、あらゆる場面で権謀術数を使い、自らの保身と権力集中のためうまく立ち振舞ったといえる。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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