2010年04月17日
第898問
【第898問】
次のうち南禅寺に関った人物ではないのは誰か。
ア、関山慧玄 イ、金地院崇伝 ウ、亀山上皇 エ、藤堂高虎
↓解答はこちら
次のうち南禅寺に関った人物ではないのは誰か。
ア、関山慧玄 イ、金地院崇伝 ウ、亀山上皇 エ、藤堂高虎
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【第898問】
<解答> ア、関山慧玄
<解説> 南禅寺は亀山上皇が40歳のときに落飾し、かつて後嵯峨天皇が造営していた禅林寺殿を寺院に改めた。この時、夜な夜な出没する妖怪に悩まされていたが、無関普門が弟子を連れて寺に入り、静かに座禅をしただけで妖怪が消え去ってしまったことから、亀山法皇は信頼して初代住職に招いたという。
その後、応仁の乱では壊滅的打撃を被り、再建は進まなかったが、江戸時代に入って徳川家康の側近を勤めた金地院崇伝が中心となって再興が進み、現在の寺観が整った。京都三大門とし知られる三門は、家康の信頼厚かった藤堂高虎によって寄進されたものである。
関山慧玄 ( かんざんえげん ) は妙心寺の開山である。大徳寺の開山でもあった師の宗峰妙超 ( 大燈国師 ) の進めによって花園天皇に招かれたため住持を引き受け、厳しい禅風で現在の妙心寺の基盤を作った。(3級)
<解答> ア、関山慧玄
<解説> 南禅寺は亀山上皇が40歳のときに落飾し、かつて後嵯峨天皇が造営していた禅林寺殿を寺院に改めた。この時、夜な夜な出没する妖怪に悩まされていたが、無関普門が弟子を連れて寺に入り、静かに座禅をしただけで妖怪が消え去ってしまったことから、亀山法皇は信頼して初代住職に招いたという。
その後、応仁の乱では壊滅的打撃を被り、再建は進まなかったが、江戸時代に入って徳川家康の側近を勤めた金地院崇伝が中心となって再興が進み、現在の寺観が整った。京都三大門とし知られる三門は、家康の信頼厚かった藤堂高虎によって寄進されたものである。
関山慧玄 ( かんざんえげん ) は妙心寺の開山である。大徳寺の開山でもあった師の宗峰妙超 ( 大燈国師 ) の進めによって花園天皇に招かれたため住持を引き受け、厳しい禅風で現在の妙心寺の基盤を作った。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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