2010年03月22日
第872問
【第872問】
次のうち後白河天皇が創建に関ったものでないのはどれか。
ア、智積院 イ、新日吉神宮 ウ、新熊野神社 エ、法住寺
↓解答はこちら
次のうち後白河天皇が創建に関ったものでないのはどれか。
ア、智積院 イ、新日吉神宮 ウ、新熊野神社 エ、法住寺
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【第872問】
<解答> ア、智積院
<解説> 東山七条を中心に近いエリアの寺社を挙げた。智積院 ( ちしゃくいん ) は元来、和歌山県の根来寺の学問所であったが、豊臣秀吉によって焼討ちに遭い、その後、徳川家康に願い出て再興を許された。家康は、かつて秀吉が造営した祥雲寺 ( しょううんじ ) を智積院の住職であった玄宥 ( げんゆう ) に与え、現在の姿となった。智積院が所蔵する長谷川一派の襖絵は全て祥雲寺にあったものを引き継いだものである。
新日吉神社 ( いまひえじんぐう ) は、永暦元 ( 1160 ) 年に後白河上皇が、院の御所 ( 法住寺殿 ) の鎮守社として滋賀の日吉大社を勧請して創建された。新熊野神社 ( いまくまのじんじゃ ) も、同年に後白河上皇が、院の御所の鎮守社として平清盛に命じて造営した。後に室町時代に入り、第三代将軍となった足利義満は世阿弥とこちらで初めて対面している。法住寺 ( ほうじゅうじ ) は、後白河上皇の法住寺殿が上皇亡き後、寺院に改められた。その後は明治に至るまで、後白河上皇の御陵を守りながら存続した。現在、御陵は宮内庁管轄となって寺院とは分けられている。(3級)
<解答> ア、智積院
<解説> 東山七条を中心に近いエリアの寺社を挙げた。智積院 ( ちしゃくいん ) は元来、和歌山県の根来寺の学問所であったが、豊臣秀吉によって焼討ちに遭い、その後、徳川家康に願い出て再興を許された。家康は、かつて秀吉が造営した祥雲寺 ( しょううんじ ) を智積院の住職であった玄宥 ( げんゆう ) に与え、現在の姿となった。智積院が所蔵する長谷川一派の襖絵は全て祥雲寺にあったものを引き継いだものである。
新日吉神社 ( いまひえじんぐう ) は、永暦元 ( 1160 ) 年に後白河上皇が、院の御所 ( 法住寺殿 ) の鎮守社として滋賀の日吉大社を勧請して創建された。新熊野神社 ( いまくまのじんじゃ ) も、同年に後白河上皇が、院の御所の鎮守社として平清盛に命じて造営した。後に室町時代に入り、第三代将軍となった足利義満は世阿弥とこちらで初めて対面している。法住寺 ( ほうじゅうじ ) は、後白河上皇の法住寺殿が上皇亡き後、寺院に改められた。その後は明治に至るまで、後白河上皇の御陵を守りながら存続した。現在、御陵は宮内庁管轄となって寺院とは分けられている。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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