2010年01月22日
第813問
【第813問】
高桐院の庭にある袈裟型手水鉢は誰が細川忠興に贈ったものか。
ア、加藤清正 イ、福島正則 ウ、黒田長政 エ、藤堂高虎
↓解答はこちら
高桐院の庭にある袈裟型手水鉢は誰が細川忠興に贈ったものか。
ア、加藤清正 イ、福島正則 ウ、黒田長政 エ、藤堂高虎
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【第813問】
<解答> ア、加藤清正
<解説> 加藤清正は、盟友であった細川忠興へ朝鮮出兵の折に持ち帰った袈裟型手水鉢を贈った。細川忠興はこれをいたく気に入り、参勤交代の際には江戸まで運ばせたという逸話を持つ。
加藤清正の朋友である福島正則 ( ふくしままさのり ) は、妙心寺内の土地の一部を譲り受けて海福院を建立し、大阪の陣の戦没者の冥福を弔った。黒田長政 ( くろだながまさ ) は加藤、福島とともに豊臣政権内で武断派を構成し、徳川家康にも早くに近づいて関ヶ原の戦いを徳川方勝利へと導いたため、家康から一番の功労者として筑前名島 ( 福岡 ) に52万3千石を与えられた。京都では父の菩提を弔うため大徳寺に龍光院を創建した。藤堂高虎 ( とうどうたかとら ) は豊臣秀長に仕えた武将であったが、秀長亡き後は、家康に早くから近づき、家康の絶大なる信頼を得た稀有な外様大名となった。その信頼は枕元に外様大名としては唯一呼ばれ、徳川の先鋒を末代まで譜代の井伊家とともに分け合うという栄誉を得た。高虎はまた築城の名手としても知られ、二条城の縄張りを担当したり、南禅寺の三門を寄進したりもしている。(2級)
<解答> ア、加藤清正
<解説> 加藤清正は、盟友であった細川忠興へ朝鮮出兵の折に持ち帰った袈裟型手水鉢を贈った。細川忠興はこれをいたく気に入り、参勤交代の際には江戸まで運ばせたという逸話を持つ。
加藤清正の朋友である福島正則 ( ふくしままさのり ) は、妙心寺内の土地の一部を譲り受けて海福院を建立し、大阪の陣の戦没者の冥福を弔った。黒田長政 ( くろだながまさ ) は加藤、福島とともに豊臣政権内で武断派を構成し、徳川家康にも早くに近づいて関ヶ原の戦いを徳川方勝利へと導いたため、家康から一番の功労者として筑前名島 ( 福岡 ) に52万3千石を与えられた。京都では父の菩提を弔うため大徳寺に龍光院を創建した。藤堂高虎 ( とうどうたかとら ) は豊臣秀長に仕えた武将であったが、秀長亡き後は、家康に早くから近づき、家康の絶大なる信頼を得た稀有な外様大名となった。その信頼は枕元に外様大名としては唯一呼ばれ、徳川の先鋒を末代まで譜代の井伊家とともに分け合うという栄誉を得た。高虎はまた築城の名手としても知られ、二条城の縄張りを担当したり、南禅寺の三門を寄進したりもしている。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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