2009年12月30日
第790問
【第790問】
次のうち新京極にある誠心院に関連した人物といえばどれか。
ア、清少納言 イ、紫氏式部 ウ、小野小町 エ、和泉式部
↓解答はこちら
次のうち新京極にある誠心院に関連した人物といえばどれか。
ア、清少納言 イ、紫氏式部 ウ、小野小町 エ、和泉式部
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【第790問】
<解答> エ、和泉式部
<解説> 通称 「 和泉式部寺 」 と呼ばれているのが新京極にある誠心院である。こちらは藤原道長が娘の中宮彰子の願いを聞き入れ、法成寺内に和泉式部のための小堂を建てたのが起こりである。正和2 ( 1313 ) 年の銘が入った石造の宝筐印塔は和泉式部の墓と伝わる。
清少納言に関連した寺院といえば泉涌寺が挙げられる。中宮定子に仕えた清少納言は、晩年は定子の墓があるこの付近に過ごしたとされ、泉涌寺境内には歌碑も残されている。また車折神社の摂社に清少納言霊社がある。これは清少納言が車折神社の祭神である清原頼業の一族にあたることから祀られたものである。紫式部に関連した寺院といえば、邸宅跡地とされる廬山寺、供養塔がある千本閻魔堂が挙げられる。また上賀茂神社の摂社である片岡社には歌が残っていることから紫式部が参詣したことが判明している。小野小町に関連した寺院は隨心院がよく知られている。境内には化粧井戸や文塚が残り、小野小町百歳像も拝観できる。また小町寺と呼ばれる補陀洛寺でも小町老衰像が残っている。(3級)
<解答> エ、和泉式部
<解説> 通称 「 和泉式部寺 」 と呼ばれているのが新京極にある誠心院である。こちらは藤原道長が娘の中宮彰子の願いを聞き入れ、法成寺内に和泉式部のための小堂を建てたのが起こりである。正和2 ( 1313 ) 年の銘が入った石造の宝筐印塔は和泉式部の墓と伝わる。
清少納言に関連した寺院といえば泉涌寺が挙げられる。中宮定子に仕えた清少納言は、晩年は定子の墓があるこの付近に過ごしたとされ、泉涌寺境内には歌碑も残されている。また車折神社の摂社に清少納言霊社がある。これは清少納言が車折神社の祭神である清原頼業の一族にあたることから祀られたものである。紫式部に関連した寺院といえば、邸宅跡地とされる廬山寺、供養塔がある千本閻魔堂が挙げられる。また上賀茂神社の摂社である片岡社には歌が残っていることから紫式部が参詣したことが判明している。小野小町に関連した寺院は隨心院がよく知られている。境内には化粧井戸や文塚が残り、小野小町百歳像も拝観できる。また小町寺と呼ばれる補陀洛寺でも小町老衰像が残っている。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:28│Comments(0)
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