2009年12月24日
第784問
【第784問】
圓徳院の庭園はどこから移築してきたものであるか。
ア、方広寺 イ、御所 ウ、聚楽第 エ、伏見城
↓解答はこちら
圓徳院の庭園はどこから移築してきたものであるか。
ア、方広寺 イ、御所 ウ、聚楽第 エ、伏見城
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【第784問】
<解答> エ、伏見城
<解説> ねねが隠居した圓徳院の北書院前の庭園は、伏見城の化粧御殿の前庭から移築したもので、小堀遠州により整えられたと伝わる。他にも伏見城で亡くなった夫秀吉の菩提を弔うために高台寺を創建し、伏見城から茶室傘亭などを移している。
方広寺は秀吉が創建した寺院で、大仏殿という巨大な木造建築物の中に、大仏が安置されていたが、地震で倒壊した。その後は秀頼による再建があったものの、江戸時代になってからは衰退の一途をたどった。御所の建物は建て替えられるたびに様々なゆかりのある場所へと移転された。仁和寺、大覚寺、南禅寺などが主に挙げられる。聚楽第の遺構は完全に判明したものはないが、西本願寺の飛雲閣や妙覚寺の大門が指摘されている。(2級)
<解答> エ、伏見城
<解説> ねねが隠居した圓徳院の北書院前の庭園は、伏見城の化粧御殿の前庭から移築したもので、小堀遠州により整えられたと伝わる。他にも伏見城で亡くなった夫秀吉の菩提を弔うために高台寺を創建し、伏見城から茶室傘亭などを移している。
方広寺は秀吉が創建した寺院で、大仏殿という巨大な木造建築物の中に、大仏が安置されていたが、地震で倒壊した。その後は秀頼による再建があったものの、江戸時代になってからは衰退の一途をたどった。御所の建物は建て替えられるたびに様々なゆかりのある場所へと移転された。仁和寺、大覚寺、南禅寺などが主に挙げられる。聚楽第の遺構は完全に判明したものはないが、西本願寺の飛雲閣や妙覚寺の大門が指摘されている。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
│建築・庭園・美術