2009年12月20日
第780問
【第780問】
延暦寺にある大書院は、誰の所有していた建物を移築したか。
ア、大倉喜八郎 イ、山県有朋 ウ、北垣国道 エ、村井吉兵衛
↓解答はこちら
延暦寺にある大書院は、誰の所有していた建物を移築したか。
ア、大倉喜八郎 イ、山県有朋 ウ、北垣国道 エ、村井吉兵衛
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【第780問】
<解答> エ、村井吉兵衛
<解説> 延暦寺にある大書院は、たばこ王と称された村井吉兵衛の東京赤坂山王台にあった豪華な御殿を、昭和3年に移築したものである。現在も延暦寺の迎賓館として活用され、通常は非公開である。
大倉喜八郎は大倉財閥の創始者で、円山公園の南側に別荘を建設した。その遺構である祇園閣 ( 現在は大雲院の境内にある ) は、昭和3年に伊藤忠太の設計によって建てられた。山県有朋は岡崎の地に別荘無鄰庵を造った。作庭は小川治兵衛であるが、山県自身が指導する形で庭園が造成された。北垣国道は京都府第三代目の知事を務め、琵琶湖疏水を完成させた。祇王寺の本堂再建のため自らの別荘を寄進している。(2級)
<解答> エ、村井吉兵衛
<解説> 延暦寺にある大書院は、たばこ王と称された村井吉兵衛の東京赤坂山王台にあった豪華な御殿を、昭和3年に移築したものである。現在も延暦寺の迎賓館として活用され、通常は非公開である。
大倉喜八郎は大倉財閥の創始者で、円山公園の南側に別荘を建設した。その遺構である祇園閣 ( 現在は大雲院の境内にある ) は、昭和3年に伊藤忠太の設計によって建てられた。山県有朋は岡崎の地に別荘無鄰庵を造った。作庭は小川治兵衛であるが、山県自身が指導する形で庭園が造成された。北垣国道は京都府第三代目の知事を務め、琵琶湖疏水を完成させた。祇王寺の本堂再建のため自らの別荘を寄進している。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
│建築・庭園・美術