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2009年10月30日

第679問

【第679問】
智積院の国宝の障壁画 「 桜図 」 を描いたのは誰か。

ア、長谷川久蔵   イ、長谷川等伯   ウ、狩野永徳  エ、狩野探幽

↓解答はこちら

【第679問】

<解答> ア、長谷川久蔵

<解説> わが子鶴松をわずか3歳で失った豊臣秀吉は、その菩提を弔うために祥雲禅寺の建立を開始した。長谷川久蔵長谷川等伯の長男で、25歳にして大作 「 桜図 」 を完成させたが、翌年26歳の若さで夭折した。その悲しみを乗り越えて等伯は描いたのが 「 楓図 」 であり、どちらも国宝に指定されている。
  狩野永徳は安土城、大坂城、聚楽第の障壁画を担当するなど、信長や豊臣秀吉をはじめとする権力者に重く用いられた。大徳寺聚光院の襖絵は父である松栄とともに書いた作品で国宝に指定されている。狩野探幽は永徳の孫にあたる。早熟の天才と謳われ、江戸城、二条城、名古屋城などの絵画制作を担当し、大徳寺の本坊でも全83面の障壁画を残している。水墨を主体とし、余白の美を意識した作風も特徴の一つである。(3級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(1)建築・庭園・美術
この記事へのコメント
大徳寺聚楽第→聚光院ですね。
Posted by wutian at 2009年12月10日 22:29
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