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2009年09月17日

第636問

【第636問】
「 くまなき月の渡るに似る 」 と感想を述べて渡月橋の名付け親となったのは誰か。

ア、藤原道長  イ、藤原公任  ウ、後嵯峨天皇  エ、亀山上皇

↓解答はこちら

【第636問】

<解答> エ、亀山上皇

<解説> 亀山上皇は、父である後嵯峨天皇が、橘嘉智子 ( たちばなのかちこ ) の開いた檀林寺跡地に離宮を営んでいたのを引き継いで 「 亀山殿 」 と称した。そんなさなか、法輪寺橋と名が付いていた橋を見ながらつぶやいたとされる。
  藤原道長の有名な歌は、 「 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば 」 である。藤原公任は大沢の池で嵯峨離宮を偲び、 「 滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ 」 と歌ったことで知られるが、大堰川で行なわれた三船祭でも、 「 小倉山嵐の風の寒ければもみぢの錦きぬ人ぞなき 」 と歌っている。この時は、和歌の舟、漢詩の舟、管弦の舟とどれに乗ってもよいと藤原道長に言われたために、和歌の舟に乗って歌を詠んだが、後に漢詩の舟に乗って詩を読めばもっと名声が上がったのにと嘆いたと伝えられる。この逸話から藤原公任を 「 三舟の才 」 と称することもある。(3級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)自然・観光
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