2009年09月16日
第635問
【第635問】
嵐電の駅の中で、檀林皇后が駅名の由来に関わっているのはどこか。
ア、車折神社 イ、常盤 ウ、西院 エ、帷子ノ辻
↓解答はこちら
嵐電の駅の中で、檀林皇后が駅名の由来に関わっているのはどこか。
ア、車折神社 イ、常盤 ウ、西院 エ、帷子ノ辻
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【第635問】
<解答> エ、帷子ノ辻
<解説> 帷子ノ辻は檀林皇后が嵯峨深山谷へ葬送される時、棺を覆っていた帷子の衣が風邪で落ちたところから名が付いた。また上嵯峨、下嵯峨、太秦、常盤への分岐点であったが、北側ばかりに道が伸び、南側が延びなかったから 「 カタビラ 」 の地名となったという説もある。現在は、嵐電の嵐山線と北野線の中継地点として有人駅となっている。
車折神社は清原頼業 ( きよはらのよりなり ) の没後に設けられた廟所が後に神社となった。これは後嵯峨天皇が嵐山に遊行した際に、社前で突然車が前に進まなくなったので、 「 車折大明神 」 の神号と正一位の神階を贈ったためともいう。常盤 ( ときわ ) は平安時代より 「 常盤の里 」 と呼ばれ、源義経の母である常盤御前のゆかりの地とされる。六地蔵巡りの一つでもある源光寺には常盤御前の墓もある。西院は淳和天皇が離宮を開いた場所から名が付いた。読み方が二通りあり、嵐電では 「 西院駅 ( さいえき ) 」、阪急電車では 「 西院駅 ( さいいんえき ) 」 と読む。
<解答> エ、帷子ノ辻
<解説> 帷子ノ辻は檀林皇后が嵯峨深山谷へ葬送される時、棺を覆っていた帷子の衣が風邪で落ちたところから名が付いた。また上嵯峨、下嵯峨、太秦、常盤への分岐点であったが、北側ばかりに道が伸び、南側が延びなかったから 「 カタビラ 」 の地名となったという説もある。現在は、嵐電の嵐山線と北野線の中継地点として有人駅となっている。
車折神社は清原頼業 ( きよはらのよりなり ) の没後に設けられた廟所が後に神社となった。これは後嵯峨天皇が嵐山に遊行した際に、社前で突然車が前に進まなくなったので、 「 車折大明神 」 の神号と正一位の神階を贈ったためともいう。常盤 ( ときわ ) は平安時代より 「 常盤の里 」 と呼ばれ、源義経の母である常盤御前のゆかりの地とされる。六地蔵巡りの一つでもある源光寺には常盤御前の墓もある。西院は淳和天皇が離宮を開いた場所から名が付いた。読み方が二通りあり、嵐電では 「 西院駅 ( さいえき ) 」、阪急電車では 「 西院駅 ( さいいんえき ) 」 と読む。
Posted by きょうすけ at 23:28│Comments(0)
│自然・観光