2009年08月30日
第618問
【第618問】
徒然草の作者である兼好法師が住んだ場所はどこか。
ア、船岡山 イ、双ヶ丘 ウ、吉田山 エ、衣笠山
↓解答はこちら
徒然草の作者である兼好法師が住んだ場所はどこか。
ア、船岡山 イ、双ヶ丘 ウ、吉田山 エ、衣笠山
↓解答はこちら
【第618問】
<解答> イ、双ヶ丘
<解説> 双ヶ丘は南北に伸びる丘で、北側から一の丘、二の丘、三の丘と続いている。一の丘には、6世紀末から7世紀初頭のものとされる古墳が見つかっている。平安時代には清原夏野が山荘を築いたり、兼好法師が徒然草を執筆した場所もこちらである。当時は既に北側には仁和寺があったため、徒然草には 「 仁和寺にある法師 」 がしばしば登場する。
船岡山は大徳寺の南にある小高い丘で、桓武天皇が平安京遷都をされた際にこの丘に登り、 「 山河襟帯自ら城をなす・・・ 」 と国見の歌を詠まれたことから 「 国見の丘 」 とも呼ばれている。また応仁の乱の激戦地でもある。吉田山は京都大学の東側にあり、節分の時期には吉田神社の節分祭で大変な賑わいとなる。衣笠山は金閣寺の庭園の借景ともなっており、かつては 「 絹かけ山 」 と呼ばれていたのが転訛した。これは宇多天皇が夏の暑い日に 「 雪見をしたい 」 とおっしゃったため、側近の者達が山に絹をかけて雪を演出したことに由来する。(3級)
<解答> イ、双ヶ丘
<解説> 双ヶ丘は南北に伸びる丘で、北側から一の丘、二の丘、三の丘と続いている。一の丘には、6世紀末から7世紀初頭のものとされる古墳が見つかっている。平安時代には清原夏野が山荘を築いたり、兼好法師が徒然草を執筆した場所もこちらである。当時は既に北側には仁和寺があったため、徒然草には 「 仁和寺にある法師 」 がしばしば登場する。
船岡山は大徳寺の南にある小高い丘で、桓武天皇が平安京遷都をされた際にこの丘に登り、 「 山河襟帯自ら城をなす・・・ 」 と国見の歌を詠まれたことから 「 国見の丘 」 とも呼ばれている。また応仁の乱の激戦地でもある。吉田山は京都大学の東側にあり、節分の時期には吉田神社の節分祭で大変な賑わいとなる。衣笠山は金閣寺の庭園の借景ともなっており、かつては 「 絹かけ山 」 と呼ばれていたのが転訛した。これは宇多天皇が夏の暑い日に 「 雪見をしたい 」 とおっしゃったため、側近の者達が山に絹をかけて雪を演出したことに由来する。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
│自然・観光