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2009年08月19日

第606問

【第606問】
一条戻り橋で浄蔵貴所によって命が蘇った人物は誰か。

ア、藤原時平  イ、渡辺綱  ウ、安倍晴明  エ、三善清行

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【第606問】

<解答> エ、三善清行

<解説> 三善清行 ( みよしきよつら ) は平安時代の文章博士で、 『 意見封事十二箇条 』 を朝廷に提出したことで歴史に名を残している。また菅原道真と確執があったとも伝えられる。子の浄蔵貴所は清行が危篤となった時には熊野で修行中で、知らせを聞いて急いで都へ戻ってきたが父の死に目に会えず、葬列に出会ったのが堀川にかかる一条通の橋であった。浄蔵貴所が一心に祈りを捧げると、父の命が一時的に蘇ったことから 「 命の戻る橋 」 となり 「 一条戻り橋 」 という名がついた。
  三善清行や菅原道真と同時代を生きた藤原氏の長が藤原時平である。左大臣まで出世したが、右大臣となった道真を恐れて讒言し、道算を大宰府へと追いやった。しかし、その後は道真の怨霊に祟られたのか、39歳の若さで早逝した。渡辺綱は源頼光四天王の一人であり、夜に馬に乗って一条戻り橋に差し掛かかった時に、女性に呼び止められ 「 五条界隈まで送ってほしい 」 と頼まれる。綱は親切にも女性を鞍に乗せて橋を渡ると、水面に映ったその女性は紛れもなく鬼女の姿であることを発見した。見破られた鬼女は綱の髻を掴んで空高く舞い上がったので、豪胆で知られた綱は慌てることなく鬼女の片腕を切り落とした。すると鬼女はそのまま愛宕山の方角へ飛び去ってしまい、綱は北野天満宮の回廊の屋根に落ちて九死に一生を得た。この無事を感謝して北野天満宮に綱が寄進した燈籠は 「 綱燈籠 」 と呼ばれて現存している。伝説の多い一条戻り橋であるが、すぐ近くに邸宅を構えていた安倍晴明は、自由に操っていた式神を妻が怖がるので、普段はこの橋の下に隠していたと伝わる。その邸宅は現在、晴明神社となって多くの観光客が訪れるスポットとなっている。(3級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)生活・行事
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