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2009年08月15日

第602問

【第602問】
京都守護職に任命された会津藩はどこの寺院に入ったか。

ア、西本願寺  イ、壬生寺  ウ、知恩院  エ、金戒光明寺

↓解答はこちら

【第602問】

<解答> エ、金戒光明寺

<解説> 金戒光明寺は法然が比叡山を降りて草庵を結んだことが起こりである。吉田山と峰続きの丘に建ち、幕末には京都守護職に任命された会津藩の本陣が置かれた。東海道の入口である粟田口に程近く、小高い丘にあって攻めにくく、遠くは大山崎から大阪方面まで遠望でき、御所までも2キロという立地条件も本陣として選ばれた要因とされている。
  西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山で、幕末は新選組の屯所となった。しかし新選組の境内を使った訓練の激しさに耐えかねて、南側の不動堂村に新しく新選組のための屯所を建てて提供した。壬生寺は、新選組が最初の屯所としていた八木邸や前川邸の南にある律宗の寺院で、新選組が剣術訓練を行なった場所である。ちなみに現在境内には隊士の墓である壬生塚がある ( 参考 : 新選組の菩提寺は光縁寺である ) 。知恩院は法然上人が開いた念仏道場に端を発し、弟子の源智上人が寺院とした。江戸時代には徳川家の保護を受け、現在の三門は徳川秀忠、御影堂は徳川家光の寄進による。その城構えのような造りや鴬張りの廊下があることから、二条城と同様に、いざというときには徳川家の出城としての役割を果たす計算がされていたとも伝えられる。(3級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)歴史・史跡
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