2009年06月13日
第539問
【第539問】
次のうち小堀遠州が手がけた庭園でないのはどれか。
ア、金地院 イ、二条城 ウ、瑞峰院 エ、伏見奉行所
↓解答はこちら
次のうち小堀遠州が手がけた庭園でないのはどれか。
ア、金地院 イ、二条城 ウ、瑞峰院 エ、伏見奉行所
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【第539問】
<解答> ウ、瑞峰院
<解説> 瑞峰院は、キリシタン大名であった大友宗麟が創建した大徳寺の塔頭である。現在の瑞峰院庭園は 「 独坐庭(どくざてい ) 」 と 「 閑眠庭 ( かんみんてい ) 」 という名がついており、どちらも昭和になって重森三玲氏によって造られたものである。特に閑眠庭はキリシタン燈籠を中心に、七個の石が十字架に配された意匠になっている。
金地院の庭園は、小堀遠州の作庭の詳細な記録が残っており、 「 鶴亀の庭 」 と称されている。二条城も徳川家康によって築かれた後、逐次増築や改造がなされ、現在の二の丸御殿を改修した際の作事奉行には小堀遠州が任命されている。小堀遠州は後年、伏見奉行に任ぜられ、伏見奉行所を訪れた徳川家光が小堀遠州が造った庭を激賞し、その場で加増をしたという逸話も残っている。最後まで伏見奉行を務め、伏見奉行屋敷で69歳の生涯を閉じた。
小堀遠州は作庭にとどまらず、茶道、陶芸、華道などに広く影響を与えた巨星であり、西洋文化を取り入れて、それまでになかった 「 直線の美 」 を表現したことも特徴である。師匠に古田織部、茶の湯の門下には松花堂昭乗、沢庵宗彭がいる。(3級)
<解答> ウ、瑞峰院
<解説> 瑞峰院は、キリシタン大名であった大友宗麟が創建した大徳寺の塔頭である。現在の瑞峰院庭園は 「 独坐庭(どくざてい ) 」 と 「 閑眠庭 ( かんみんてい ) 」 という名がついており、どちらも昭和になって重森三玲氏によって造られたものである。特に閑眠庭はキリシタン燈籠を中心に、七個の石が十字架に配された意匠になっている。
金地院の庭園は、小堀遠州の作庭の詳細な記録が残っており、 「 鶴亀の庭 」 と称されている。二条城も徳川家康によって築かれた後、逐次増築や改造がなされ、現在の二の丸御殿を改修した際の作事奉行には小堀遠州が任命されている。小堀遠州は後年、伏見奉行に任ぜられ、伏見奉行所を訪れた徳川家光が小堀遠州が造った庭を激賞し、その場で加増をしたという逸話も残っている。最後まで伏見奉行を務め、伏見奉行屋敷で69歳の生涯を閉じた。
小堀遠州は作庭にとどまらず、茶道、陶芸、華道などに広く影響を与えた巨星であり、西洋文化を取り入れて、それまでになかった 「 直線の美 」 を表現したことも特徴である。師匠に古田織部、茶の湯の門下には松花堂昭乗、沢庵宗彭がいる。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:28│Comments(0)
│建築・庭園・美術