2009年06月10日
第536問
【第536問】
皇室の菩提寺として 「 御寺 」 と呼ばれる泉涌寺の開山は誰か。
ア、後光厳天皇 イ、弘法大師 ウ、橘俊綱 エ、月輪大師
↓解答はこちら
皇室の菩提寺として 「 御寺 」 と呼ばれる泉涌寺の開山は誰か。
ア、後光厳天皇 イ、弘法大師 ウ、橘俊綱 エ、月輪大師
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【第536問】
<解答> エ、月輪大師
<解説> 月輪大師は俊芿律師 ( しゅんじょうりっし ) といい、かつて藤原緒嗣が帰依した神修上人が建てた法輪寺を泉涌寺と改称し、開山となった。その後、仁治3 ( 1242 ) 年に四条天皇が没した際に、境内に御陵が造られて以来、皇室の菩提所となった。この時のエピソードとして、まだ後鳥羽上皇が起こした 「 承久の乱 」 のほとぼりが冷めぬころであったため、京都の寺院はどこも四条天応を弔うことを控えていたが、唯一泉涌寺は 「 亡くなられたらどんな方でも同じです。 」 と引き受けたため、皇室の絶大にな信頼を得たと伝わる。
他の選択肢も全て泉涌寺の塔頭の創建にかかわる人物である。後光厳天皇が創建した寺院は、泉涌寺の別院としての格式を誇る雲龍院である。南北朝時代の北朝方の天皇の位牌を祀っている。また江戸時代には後水尾天皇の帰依を受け、現在写経ができる本堂の机は、後水尾天皇寄進のものである。また弘法大師が創建して藤原緒嗣が伽藍を造立したのが、西国三十三箇所観音霊場めぐりの15番目の札所として信仰される今熊野観音寺である。橘俊綱は藤原頼通を父に持つ名門の出身で、源信が建立した光明院を持仏堂にした即成院を伏見に創建し、堂内には阿弥陀如来及び二十五菩薩像を安置した。父が造営した平等院への憧れか、現在も即成院の門の屋根には鳳凰が平等院の方角を向いてとまっている。(3級)
<解答> エ、月輪大師
<解説> 月輪大師は俊芿律師 ( しゅんじょうりっし ) といい、かつて藤原緒嗣が帰依した神修上人が建てた法輪寺を泉涌寺と改称し、開山となった。その後、仁治3 ( 1242 ) 年に四条天皇が没した際に、境内に御陵が造られて以来、皇室の菩提所となった。この時のエピソードとして、まだ後鳥羽上皇が起こした 「 承久の乱 」 のほとぼりが冷めぬころであったため、京都の寺院はどこも四条天応を弔うことを控えていたが、唯一泉涌寺は 「 亡くなられたらどんな方でも同じです。 」 と引き受けたため、皇室の絶大にな信頼を得たと伝わる。
他の選択肢も全て泉涌寺の塔頭の創建にかかわる人物である。後光厳天皇が創建した寺院は、泉涌寺の別院としての格式を誇る雲龍院である。南北朝時代の北朝方の天皇の位牌を祀っている。また江戸時代には後水尾天皇の帰依を受け、現在写経ができる本堂の机は、後水尾天皇寄進のものである。また弘法大師が創建して藤原緒嗣が伽藍を造立したのが、西国三十三箇所観音霊場めぐりの15番目の札所として信仰される今熊野観音寺である。橘俊綱は藤原頼通を父に持つ名門の出身で、源信が建立した光明院を持仏堂にした即成院を伏見に創建し、堂内には阿弥陀如来及び二十五菩薩像を安置した。父が造営した平等院への憧れか、現在も即成院の門の屋根には鳳凰が平等院の方角を向いてとまっている。(3級)
Posted by きょうすけ at 21:34│Comments(0)
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