2009年06月08日
第534問
【第534問】
紫陽花苑で知られる藤森神社にかかわった人物でないのはどれか。
ア、近藤勇 イ、石川五右衛門 ウ、足利義満 エ、後水尾天皇
↓解答はこちら
紫陽花苑で知られる藤森神社にかかわった人物でないのはどれか。
ア、近藤勇 イ、石川五右衛門 ウ、足利義満 エ、後水尾天皇
↓解答はこちら
【第534問】
<解答> ウ、足利義満
<解説> 藤森神社にかかわったのは足利義満の孫にあたる足利義教である。足利義教は室町幕府第六代目の将軍で、本殿北側にあって重要文化財に指定されている大将軍社の社殿を造営した。
新選組の局長であった近藤勇は、後水尾天皇の御宸筆であった 「 藤森大明神 」 という額が鳥居に掲げれていたため、大名行列がこの前を通る度に、騎乗者が下車する等から、 「 この幕末の非常時にこのような悠長なことはできない 」 として、額を外して持ち去ったと伝えられる。また近藤勇は境内の旗塚にある 「 いちのきさん 」 にお参りすると腰痛に効くということを聞き、参拝したとも伝えられる。大泥棒として名高い石川五右衛門は、一時期、藤森神社の南に住んでいた。拝殿西隅の手水鉢の台石は、宇治の塔の島にある十三重の石塔の一部を、石川五右衛門がひそかに盗んで寄進したとされる。そのため現在でも塔の島の十三重の石塔の上から五番目の石は色が変わっている。(2級)
<解答> ウ、足利義満
<解説> 藤森神社にかかわったのは足利義満の孫にあたる足利義教である。足利義教は室町幕府第六代目の将軍で、本殿北側にあって重要文化財に指定されている大将軍社の社殿を造営した。
新選組の局長であった近藤勇は、後水尾天皇の御宸筆であった 「 藤森大明神 」 という額が鳥居に掲げれていたため、大名行列がこの前を通る度に、騎乗者が下車する等から、 「 この幕末の非常時にこのような悠長なことはできない 」 として、額を外して持ち去ったと伝えられる。また近藤勇は境内の旗塚にある 「 いちのきさん 」 にお参りすると腰痛に効くということを聞き、参拝したとも伝えられる。大泥棒として名高い石川五右衛門は、一時期、藤森神社の南に住んでいた。拝殿西隅の手水鉢の台石は、宇治の塔の島にある十三重の石塔の一部を、石川五右衛門がひそかに盗んで寄進したとされる。そのため現在でも塔の島の十三重の石塔の上から五番目の石は色が変わっている。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:28│Comments(0)
│神社・寺院