京つう

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2009年05月22日

第517問

【第517問】
保津川を開削した京都との豪商は誰か。

ア、本阿弥光悦  イ、茶屋四郎次郎  ウ、後藤益勝  エ、角倉了以

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【第517問】

<解答> エ、角倉了以

<解説> 保津川は、慶長11 ( 1606 ) 年に川大名といわれた京都の豪商角倉了以によって水路が開かれた。角倉了以は、朱印船貿易に携わって巨額の富を得て、他にも富士川、高瀬川、天竜川なども手がけている。その墓は長男である角倉素庵とともに二尊院にある。
  本阿弥光悦が生まれた本阿弥家は、もともと刀の鑑定や拭いを本業としていたが、卓越した芸術センスを持っていた光悦は、家業の枠を超えて、書道、茶道、蒔絵、陶芸など多方面にその才能をいかんなく発揮した。茶屋四郎次郎は安土桃山時代から江戸初期の豪商である。 「 本能寺の変 」 を堺にいた徳川家康に急報し、その 「 神君伊賀越え 」 を支えたとされ、それがきっかけで家康の信頼を得て、江戸幕府の御用商人として優遇された。後藤益勝は江戸初期の京都の豪商で、大徳寺の真珠庵の再興にも尽力した。(3級)

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Posted by きょうすけ at 19:59│Comments(0)歴史・史跡
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