2009年05月19日
第514問
【第514問】
次のうち、淳和天皇の離宮の跡に建つ寺院はどれか。
ア、雲林院 イ、妙心寺 ウ、大覚寺 エ、南禅寺
↓解答はこちら
次のうち、淳和天皇の離宮の跡に建つ寺院はどれか。
ア、雲林院 イ、妙心寺 ウ、大覚寺 エ、南禅寺
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【第514問】
<解答> ア、雲林院
<解説> 雲林院は淳和天皇の離宮 「 紫野院 」 の後に仁明天皇の離宮となり、その後六歌仙の一人である僧正遍昭が寺院に改めて鎌倉時代までは天台宗として栄えた。 「 今昔物語集 」 、 「 大鏡 」 の舞台となり、古今和歌集などにも頻繁に舞台として登場する。その後大徳寺の末寺として禅宗寺院となったが、応仁の乱で廃絶し、地名とわずかに観音堂が残っている。
妙心寺は花園天皇の離宮 「 萩原殿 」 を、法皇となった天皇が禅寺に改めたのが起こりである。天皇は大燈国師に帰依していたが、臨終を迎えた大燈国師は、寺院の開山を選ぶに当たって、弟子である関山慧玄を推挙したという。大覚寺は嵯峨天皇の離宮を皇女の正子内親王 ( 淳和天皇皇后 ) が寺院に改めたものである。離宮に貴族達が通った道は 「 千代の古道 」 として現在も残っている。南禅寺は亀山天皇が大宮院 ( 亀山天皇の母 ) の御所として造営した禅林寺殿が前身である。永観堂 ( 禅林寺 ) の南側に創建された寺院ということから南禅寺と名付けられた。(2級)
<解答> ア、雲林院
<解説> 雲林院は淳和天皇の離宮 「 紫野院 」 の後に仁明天皇の離宮となり、その後六歌仙の一人である僧正遍昭が寺院に改めて鎌倉時代までは天台宗として栄えた。 「 今昔物語集 」 、 「 大鏡 」 の舞台となり、古今和歌集などにも頻繁に舞台として登場する。その後大徳寺の末寺として禅宗寺院となったが、応仁の乱で廃絶し、地名とわずかに観音堂が残っている。
妙心寺は花園天皇の離宮 「 萩原殿 」 を、法皇となった天皇が禅寺に改めたのが起こりである。天皇は大燈国師に帰依していたが、臨終を迎えた大燈国師は、寺院の開山を選ぶに当たって、弟子である関山慧玄を推挙したという。大覚寺は嵯峨天皇の離宮を皇女の正子内親王 ( 淳和天皇皇后 ) が寺院に改めたものである。離宮に貴族達が通った道は 「 千代の古道 」 として現在も残っている。南禅寺は亀山天皇が大宮院 ( 亀山天皇の母 ) の御所として造営した禅林寺殿が前身である。永観堂 ( 禅林寺 ) の南側に創建された寺院ということから南禅寺と名付けられた。(2級)
Posted by きょうすけ at 12:28│Comments(0)
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