2009年05月18日
第513問
【第513問】
清凉寺はかつて誰の別荘の跡地に建っているか。
ア、西園寺公経 イ、源融 ウ、清原夏野 エ、藤原道長
↓解答はこちら
清凉寺はかつて誰の別荘の跡地に建っているか。
ア、西園寺公経 イ、源融 ウ、清原夏野 エ、藤原道長
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【第513問】
<解答> イ、源融
<解説> 清凉寺はかつて源融の別荘 「 棲霞観 ( せいかかん ) 」 があった場所に建つ。源融の死後、別荘は 「 棲霞寺 」 と改められ、宋から釈迦如来像を持ち帰った奝然によって華厳宗に改められた。室町中期に融通念仏の道場として栄えて浄土宗に改宗し、現在に至っている。
西園寺公経は鎌倉時代に活躍した公家で、新幕派として知られていた。広大な別荘 「 北山第 」 を造営していたが、室町時代になって足利義満が譲り受けて 「 北山殿 」 とした。義満の死後、法名にちなんで鹿苑寺として寺院に改められ、現在に至っている。清原夏野は平安初期の政治家で、双ヶ丘に山荘を持ち、死後山荘を双丘寺として改めた。その後、平安末期に待賢門院が再興して法金剛院として現在に至っている。平安中期に摂関政治の全盛期を築いた藤原道長は、宇治に豪華な別荘 「 宇治殿 」 を建立した。その別荘を譲り受けた頼通は、父の別荘を平等院に改めた。(3級)
<解答> イ、源融
<解説> 清凉寺はかつて源融の別荘 「 棲霞観 ( せいかかん ) 」 があった場所に建つ。源融の死後、別荘は 「 棲霞寺 」 と改められ、宋から釈迦如来像を持ち帰った奝然によって華厳宗に改められた。室町中期に融通念仏の道場として栄えて浄土宗に改宗し、現在に至っている。
西園寺公経は鎌倉時代に活躍した公家で、新幕派として知られていた。広大な別荘 「 北山第 」 を造営していたが、室町時代になって足利義満が譲り受けて 「 北山殿 」 とした。義満の死後、法名にちなんで鹿苑寺として寺院に改められ、現在に至っている。清原夏野は平安初期の政治家で、双ヶ丘に山荘を持ち、死後山荘を双丘寺として改めた。その後、平安末期に待賢門院が再興して法金剛院として現在に至っている。平安中期に摂関政治の全盛期を築いた藤原道長は、宇治に豪華な別荘 「 宇治殿 」 を建立した。その別荘を譲り受けた頼通は、父の別荘を平等院に改めた。(3級)
Posted by きょうすけ at 12:00│Comments(0)
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