2009年05月17日
第512問
【第512問】
豊臣秀吉の造った建造物であるのはどれか。
ア、南禅寺 三門 イ、大徳寺 三門 ウ、蓮華王院 南大門 エ、仁和寺 仁王門
↓解答はこちら
豊臣秀吉の造った建造物であるのはどれか。
ア、南禅寺 三門 イ、大徳寺 三門 ウ、蓮華王院 南大門 エ、仁和寺 仁王門
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【第512問】
<解答> ウ、蓮華王院 南大門
<解説> 蓮華王院すなわち三十三間堂の南大門は、豊臣秀吉が方広寺を造立した際に建立したものである。大仏殿を含めた巨大な方広寺の敷地に三十三間堂も組み込まれる形で整備され、南大門と同時に太閤塀という土塀も合わせて造られ、数少ない秀吉の建造物として今に伝わっている。
南禅寺の三門は、戦国武将として乱世を生き抜いた藤堂高虎が大阪冬の陣、夏の陣の戦没者を弔うために建立した。世に名高い歌舞伎 「 楼門五三の桐 」 で、大泥棒石川五右衛門が 「 絶景かな、絶景かな~ 」 と大見得を切るシーンがあるが、三門が建ったのは石川五右衛門が処刑された後の話であるため完全な創作である。大徳寺の三門は別名 「 金毛閣 」 と呼ばれ、安土桃山時代に大徳寺の復興に寄与した千利休が寄進した。大徳寺側はこれに感謝して三門の二層目に千利休の木像を安置したが、利休はこの下をくぐった豊臣秀吉から 「 利休に足蹴にされた 」 と勘気を受け、堺に追放されて自害に追い込まれた。仁和寺の仁王門は、江戸初期の寛永年間に徳川家光が仁和寺を復興した際に合わせて再建された。(2級)
<解答> ウ、蓮華王院 南大門
<解説> 蓮華王院すなわち三十三間堂の南大門は、豊臣秀吉が方広寺を造立した際に建立したものである。大仏殿を含めた巨大な方広寺の敷地に三十三間堂も組み込まれる形で整備され、南大門と同時に太閤塀という土塀も合わせて造られ、数少ない秀吉の建造物として今に伝わっている。
南禅寺の三門は、戦国武将として乱世を生き抜いた藤堂高虎が大阪冬の陣、夏の陣の戦没者を弔うために建立した。世に名高い歌舞伎 「 楼門五三の桐 」 で、大泥棒石川五右衛門が 「 絶景かな、絶景かな~ 」 と大見得を切るシーンがあるが、三門が建ったのは石川五右衛門が処刑された後の話であるため完全な創作である。大徳寺の三門は別名 「 金毛閣 」 と呼ばれ、安土桃山時代に大徳寺の復興に寄与した千利休が寄進した。大徳寺側はこれに感謝して三門の二層目に千利休の木像を安置したが、利休はこの下をくぐった豊臣秀吉から 「 利休に足蹴にされた 」 と勘気を受け、堺に追放されて自害に追い込まれた。仁和寺の仁王門は、江戸初期の寛永年間に徳川家光が仁和寺を復興した際に合わせて再建された。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:53│Comments(0)
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