2009年05月14日
第509問
【第509問】
家老職を務めた人物の中で蓮華寺にかかわった人物は誰か。
(1級受験者はそれぞれ何藩の家老であったかも答えること。)
ア、小松帯刀 イ、今枝近義 ウ、直江兼続 エ、大石内蔵助
↓解答はこちら
家老職を務めた人物の中で蓮華寺にかかわった人物は誰か。
(1級受験者はそれぞれ何藩の家老であったかも答えること。)
ア、小松帯刀 イ、今枝近義 ウ、直江兼続 エ、大石内蔵助
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【第509問】
<解答> イ、今枝近義
<解説> 今枝近義は加賀藩家老であり、祖父重直の菩提のため洛中にあった蓮華寺を現在の洛北に移築して再興した。その際には、狩野探幽、木下順庵、石川丈山、隠元禅師など当時一流の文化人が協力している。本堂前に建つ石燈籠は急勾配の笠を持ち、古来より茶人に好まれ、蓮華寺型石灯籠として知られている。
小松帯刀は幕末の薩摩藩の家老である。島津久光の信頼を得て、外交や内政をほぼ一手に引き受けた。物事に寛容で明るく弁舌爽やかで、多くの人望を得ていた。また藩の枠を超えて坂本龍馬の世話をするなど、幕末の混乱期と明治の黎明期の日本にとって大きな役割を演じた人物である。直江兼続は上杉景勝に幼少期より仕えて上杉家の家老となり、江戸時代には減封されて米沢藩となった上杉家の家老を引き続き務め、藩政をリードした。その手腕は後の名君として知られる上杉鷹山が激賞している。京都では 「 額縁門 」 で知られる天寧寺の再興にも尽力している。大石内蔵助は赤穂浅野藩の家老であり、主君浅野長矩が吉良上野介に対して刃傷に及び、異例の即日切腹、さらに赤穂浅野家が取り潰しに瀕した際に、藩の責任者としてその処遇に冷静に対応した。その後、警戒されながらも主君の仇であった吉良上野介を討ったことで、一躍日本中に知られることとなった。京都では、来迎院の檀家となって茶室 「含翠軒 ( がんすいけん ) 」 を建てている。また隠棲していたとされる岩屋寺では数々の遺品を見ることができる。(2級)
<解答> イ、今枝近義
<解説> 今枝近義は加賀藩家老であり、祖父重直の菩提のため洛中にあった蓮華寺を現在の洛北に移築して再興した。その際には、狩野探幽、木下順庵、石川丈山、隠元禅師など当時一流の文化人が協力している。本堂前に建つ石燈籠は急勾配の笠を持ち、古来より茶人に好まれ、蓮華寺型石灯籠として知られている。
小松帯刀は幕末の薩摩藩の家老である。島津久光の信頼を得て、外交や内政をほぼ一手に引き受けた。物事に寛容で明るく弁舌爽やかで、多くの人望を得ていた。また藩の枠を超えて坂本龍馬の世話をするなど、幕末の混乱期と明治の黎明期の日本にとって大きな役割を演じた人物である。直江兼続は上杉景勝に幼少期より仕えて上杉家の家老となり、江戸時代には減封されて米沢藩となった上杉家の家老を引き続き務め、藩政をリードした。その手腕は後の名君として知られる上杉鷹山が激賞している。京都では 「 額縁門 」 で知られる天寧寺の再興にも尽力している。大石内蔵助は赤穂浅野藩の家老であり、主君浅野長矩が吉良上野介に対して刃傷に及び、異例の即日切腹、さらに赤穂浅野家が取り潰しに瀕した際に、藩の責任者としてその処遇に冷静に対応した。その後、警戒されながらも主君の仇であった吉良上野介を討ったことで、一躍日本中に知られることとなった。京都では、来迎院の檀家となって茶室 「含翠軒 ( がんすいけん ) 」 を建てている。また隠棲していたとされる岩屋寺では数々の遺品を見ることができる。(2級)
Posted by きょうすけ at 12:00│Comments(0)
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