2009年04月23日
第488問
【第488問】
相国寺の中興の祖と呼ばれているのはだれか。
ア、春屋妙葩 イ、絶海中津 ウ、西笑承兌 エ、義堂周信
↓解答はこちら
相国寺の中興の祖と呼ばれているのはだれか。
ア、春屋妙葩 イ、絶海中津 ウ、西笑承兌 エ、義堂周信
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【第488問】
<解答> ウ、西笑承兌
<解説> 相国寺は、明徳3 ( 1392 ) 年に足利尊氏によって建立された。その際、夢窓疎石の高弟であった春屋妙葩は、開山として招かれたがこれを固辞し、自分の叔父にあたる夢窓疎石を開山とするならば、喜んで二代目住職となることを申し出た。そのため、当時は既に他界していた夢窓疎石を勧請開山とし、春屋妙葩が二代目となった。義堂周信と絶海中津はどちらも土佐の出身で交流も深く、夢窓疎石が土台を築いた五山文学を発展させた僧である。義堂周信は室町幕府第三代将軍であった足利義満に禅を教えるととに、相国寺の建立を進言した。また絶海中心は明に渡海し、太祖である洪武帝から謁見を許されるなど多くの高僧らと交流したため、帰国後はその地位を一段と高めた。
相国寺は、創建から200年もたたないうちに4度も火災にあって全焼した。西笑承兌 ( さいしょうじょうたい ) は豊臣秀吉の政治顧問となり、相国寺復興に大きく貢献した。また徳川家康の命を受けて上杉家との交渉役となり、上杉家の家老直江兼続が出した 「 直江状 」 を受け取った人物でもある。(2級)
<一言> 西笑承兌は、今年の大河ドラマにも出てくるかもしれませんね。
<解答> ウ、西笑承兌
<解説> 相国寺は、明徳3 ( 1392 ) 年に足利尊氏によって建立された。その際、夢窓疎石の高弟であった春屋妙葩は、開山として招かれたがこれを固辞し、自分の叔父にあたる夢窓疎石を開山とするならば、喜んで二代目住職となることを申し出た。そのため、当時は既に他界していた夢窓疎石を勧請開山とし、春屋妙葩が二代目となった。義堂周信と絶海中津はどちらも土佐の出身で交流も深く、夢窓疎石が土台を築いた五山文学を発展させた僧である。義堂周信は室町幕府第三代将軍であった足利義満に禅を教えるととに、相国寺の建立を進言した。また絶海中心は明に渡海し、太祖である洪武帝から謁見を許されるなど多くの高僧らと交流したため、帰国後はその地位を一段と高めた。
相国寺は、創建から200年もたたないうちに4度も火災にあって全焼した。西笑承兌 ( さいしょうじょうたい ) は豊臣秀吉の政治顧問となり、相国寺復興に大きく貢献した。また徳川家康の命を受けて上杉家との交渉役となり、上杉家の家老直江兼続が出した 「 直江状 」 を受け取った人物でもある。(2級)
<一言> 西笑承兌は、今年の大河ドラマにも出てくるかもしれませんね。
Posted by きょうすけ at 19:28│Comments(0)
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